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表紙

アンコール!  10 彼女の名は




 火傷した娘は、二人の貴族に取り囲まれて困りきっていた。
 ヘレナは傍らから二人を観察し、彼らなら危険はないと判断した。 男の客をうまくあしらうのも仕事のうちだから、見る目はある。 それで、娘の腕をそっと取り、囁きかけた。
「この人たちは親切なだけよ。 それでも心配なら、私が一緒に行くから」


 娘が申し出を受け入れたため、男たちはほっとした様子で、彼女たちに付き添って最新式の四人乗り馬車に乗り込んだ。
 女性二人を前向きに座らせ、自分たちは御者席に背を向けて腰を降ろした後、ラルストン伯トマスは地中海のような青い眼を娘に向け、穏やかに言った。
「さて、僕達はもう名乗りました。 だから聞かせてもらえませんか? あなたの名前は?」
 娘は、まだ肩を覆っている彼のコートを胸にかき寄せ、ヘレナのほうをちらりと見てから、小声で答えた。
「ヴァレリー …… ヴァレリー・コックスです」
「ヴァレリーか。 いい名前だ」
 ハリー・ハモンドがシルクハットを脱いで横に置き、濃い金色の巻き毛を撫で上げながら言った。
 トマスはヘレナに目を移して尋ねた。
「あなたは?」
 待ってましたと、ヘレナは愛想よく微笑み返した。
「ヘレナ・コールです。 今度グロースターに加入したばかりの」
「かわいい新人女優さんか」
 トマスも口元をほころばせた。 その笑顔に、前の二人娘の視線が釘付けになった。
 トマスは確かに二枚目だが、整いすぎて少々近づきがたい。 それが、わずかに顔をほころばせただけで、別人のように愛嬌〔あいきょう〕が加わった。
 ほんとのところ、この人幾つぐらいなんだろう、と、ヘレナはいぶかった。 真顔だと三十過ぎに見える。 でも今の笑い顔を見た後では、まだ二十代ではないかと思われた。
 その後、自然にヘレナの眼は横に動き、無邪気に歯を見せて微笑んでいるハリーに移った。 この人はまちがいなく二十代だ。 あんなにくったくなく笑っても、目尻に細い皺しか寄らないし、肌がつやつやしている。 見たところ、夜遊びが好きそうな服装と態度だけど、彼にはなぜか、健康な田舎の若者のような、はつらつとした風情があった。

  間もなく到着した先は、そう大きくないが新しそうな建物だった。 中へ入ると、玄関広間は天井が高くて明るく、いかにも若い人の住まいという雰囲気があった。
 戸口に立った執事も、予想より若かった。 たぶん三十代前半だろう。 律儀そうな四角い顔をしていて、目が優しく、威厳があるというより、子供好きな神父のように見えた。
 急ぎ足で家に客を導き入れると、トマスはすぐ執事に言いつけて、医者を呼びに行かせた。 そして自分は、広間を突っ切ったところにあるしゃれた部屋に、三人を案内した。
「ここで少し待っていてください。 すぐファンショー医師が来ます。 それまでシェリー酒でも?」
「はい、いただきます」
 ヘレナがすぐに応じた。 乗りがいいのが得意技だ。
 トマスは自分で、立派なオークの戸棚から酒瓶を二本とグラスを四つ持ち出し、ブランディーの瓶はハリーに渡した。










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