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アンコール!  7 苦い出会い




 トマスが指し示したのは、舞台の袖ぎりぎりに並んだヘレナだった。 早く出ろとせきたてられたため、髪を結い上げる時間がなく、大ざっぱにまとめた端が崩れて、金色のヴェールのように広がっていた。
 彼の指の向きを追って、フィービーはヘレナを見つけた。 そして目をすがめ、三秒ほどじっと見つめつづけた。
「よう、来てたのか」
 そのとき、明るい男の声が、二人の沈黙を破った。 呪縛が解けたようにトマスが目を上げると、彼と同じぐらい背の高い男性が近づいてくるのが見えた。
 トマスのきりりとした口元に、微笑とも苦笑ともつかない表情が浮かんだ。
「ハリー。 ハロルド・ハモンドか」
「そう、そのダブルH」
 しまらない笑顔でハリー・ハモンド青年が横に立つと、フィービーは不愉快そうにちらっと見上げて、ケープの襟元をかき合せて去っていった。
 その後姿に愛想よく頭を下げてから、ハリーはトマスに耳打ちした。
「楽しい語らいのお邪魔だったか?」
「まさか」
 トマスは低く吐き捨てた。
「あれが例の女だ」
 とたんにハリーはきょろきょろしはじめ、終いには爪先立ちになって、消えていったペールピンクのケープを探した。
「そうなのか? 君を愛しているふりして呼び寄せて、義理の母親の寝室に突入させたっていう?」
 ハリーの声が陽気で大きいので、トマスは当惑して、腕を引き寄せて柱の陰に引き込んだ。
「やめろ、軽く言うな」
 ハリーは柱につかまり、深刻そうな顔を作った。
「ごめん、ちょっと声がでかかったか?」
「いつものことだが」
 話している間にも、バーボンの匂いがハリーの周囲に雲のようにただよってきて、トマスは顔をしかめた。
「何本飲んだんだ?」
「何本? いや一本の半分だけだよ」
「それにしちゃご機嫌だな」
 また歓声が大きくなった。 ハリーは首を回して舞台を眺め、にやついた。
「アンコール、よく続くじゃないか。 初日から大当たりだ」
「そろそろ止めるだろう。 さあ、もう出よう。 帰り『ホワイツ』にでも寄って」
 名門紳士クラブの名前を聞くと、ハリーは少年っぽい笑顔になってうなずいた。
「行こう、行こう!」
 そして、しっかりしているトマスの肩に寄りかかって、ドアから表廊下に出ていった。


 一方、長すぎるカーテンコールに付き合わされたヘレナは、痛む足首をさすりながら靴を履き替え、他のダンサーたちの後について、楽屋口に向かった。
 狭い通路はごったがえしていた。 特別に入れてもらったパトロンの紳士たちが、ひいきの役者に会いに来る中、新たに贈られた花篭をかついだ花屋の出前が人垣をかきわけて進み、その動きに逆流して下積みの俳優たちが帰路に着く。 大成功の初日だったため、ますます混乱に拍車がかかって、ヘレナたちはなかなか前に進めなかった。
 かたつむりの歩みで、ようやくペンキ塗りの裏口ドアが見えてきたとき、不意に横合いから引っ張られた。
 驚いてヘレナが振り返ると、掃除係のワンダおばさんが袖をぎゅっと握っていた。
「そっちは混みすぎ。 こっちこっち」
「え?」
 よくわからないうちに、ヘレナは一人だけ大道具の搬送口へ連れていかれ、横の小さな出入り口から楽々と出してもらった。







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