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アンコール!  6 舞台の初日




 そのシーズンの開幕芝居は、華やかにシェークスピアの『ロミオとジュリエット』に決まった。
 ドリーはロミオを失恋させるロザリンドの役をもらった。 ヘレナは、ダンスがうまいのを買われて、舞踏会の場面で前のほうに出る貴婦人になった。
 売れている一流劇団だと、衣装代もたっぷり支給される。 いかにも中世風のどっしりしたドレスの豪華な模様がうれしくて、ヘレナは大鏡の前で何度も回ってみた。


 秋の初めは穏やかな気候で、観客の出足がよかった。
 グロースター劇団が常駐しているオルリック劇場は古い伝統を持ち、客足も一流どころだった。 だから初日から上流階級や有名人がつめかけ、シルクハットとマントの波ができた。
 その黒い波に守られて、綺麗な本物の貴婦人たちのたっぷりしたスカートが、正面入り口の階段を上った。 最初の出番を終えた脇役や端役たちは、楽屋からそっと抜け出して、天井桟敷の裏階段から、晴れやかな客たちを覗き見した。
「見て。 リンフォード男爵夫人よ! 去年までただの雑貨屋のメイ・ウェルチだった人」
「すごくきれいじゃないの」
「だから玉の輿に乗ったわけ。 それと、あっちはベアトリス・タルボット。 アランデール子爵夫人で……」
「元有名な悲劇女優レイチェル・ダーリントンね」
 そこへ掃除婦のジェンキンズおばさんが現われて、モップで娘たちを追い払った。
「じゃまじゃま。 そんなところで夢見てたって何にもなりゃしないよ。 いいパトロンを掴まえたいなら、紳士方が待ちかまえる楽屋口にでも行って、しゃなりしゃなりと歩き回ったらどうだい」
「そんなの、芝居がハネた後よ。 それに私にはサミーがいるし」
「サミー・ブレアね? 上着につぎ当ててる下っ端事務員じゃないか」
「そのうち出世するわ! 五年したらバークスさんの片腕になって、一軒家を買って私と一緒になるんだから」
「あんたがそれまでもつかねぇ」
 ジェンキンズは鼻で笑った。
「もっと楽な道はいくらでもあるからね」


 ヘレナは新しい同僚たちの話を上の空で聞きながら、ダンスの相手役に踏まれてほどけた縫い目をつくろっていた。 今度の劇団には、ちゃんとした縫い子たちがついていて、補修もしてくれるのだが、前からの習慣で、ヘレナは器用に直すことができた。
 やがて終幕が降り、盛大な拍手が楽屋にも聞こえてきた。
 間もなく、呼び出し係のジムが陽気に飛び込んできて、皆を急きたてた。
「三度もアンコールしてるよ。 四度目は全員で出ろってさ」
 目立つチャンスだ。 もう衣装を脱いでいたヘレナも、急いで着替えて舞台に繰り出した。


 若い子たちが並んで一斉に出てくると、客席の男性たちは活気付き、彼らが構えるオペラグラスが、あちこちで照明にきらめいた。 シーズンの初めに素敵な娘を早く見つけて、声をかけようというのだ。
 将来性を買って贔屓〔ひいき〕にしてやろうという紳士もいたが、たいていの目的は束の間の恋人探しだった。
 そんな中、まだ残っている友人に挨拶して一人で立ち上がる男がいた。 他の青年紳士と同じく黒の正装に身を固め、ぴたりと合った手袋をしている。 それでも人目を引くのは、落ち着いた表情には似つかわしくないほど軽やかな身のこなしのせいだろう。 彼はまるで宙に浮いているかのように、ほとんど体を動かさずに狭い通路を通り抜けた。
 背後の扉まで来たとき、ある人間を見つけて、彼の歩みが遅くなった。 そして、ほんの僅か眉をしかめた。 よく注意しないとわからない程度だったが、象牙の扇を使いながら彼をそれとなく待ち受けていた婦人には見てとれた。
 婦人の肩がいくらか上がり、甘い微笑に険が出た。
「あら、ここでお逢いするなんて、ラルストン伯爵」
 男は口元に儀礼的な笑いを浮かべたが、眼はうらはらに冷たかった。
「これはミス・レンフルー。 いや、今はマートン従男爵夫人ですね」
「お久しぶりね。 あなたが私の家の庭からお別れも言わずに消えてから、もう何年になるかしら?」
 トマス・ウェイクフィールドは、不意に来た旧名フィービー・レンフルーの当てこすりにびくともせず、片目鏡を取り出してハンカチでていねいに拭いはじめた。
「十年一昔と言いますからね」
 余韻を残して消えるトマスの深い声を楽しむごとく、フィービーは目を閉じて顔をもたげた。
「とても仲良しでしたわね、私達」
「そうでしたか?」
「あの頃、あなたは私に夢中だった。 詩を書いてくれたでしょう? 大切に持っているのよ」
 トマスは一瞬目をつぶってから、その目に片目鏡を入れ、まだアンコールが続いている舞台に視線をやった。
 そして、右端で夜明けの太陽のように揺れている黄金色の髪に、ぴたりと焦点を合わせた。
「金色の髪が好きでね。 それに夏空のような碧い瞳も」
 キッドの手袋をはめたトマスの手が、舞台の端を優雅に指した。
「今、心惹かれるのは、あの娘です。 実に魅力的だ。 それに、うら若い」







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