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アンコール!  3 男の豪邸へ




「頭の傷は危険なのよ」
 のそのそと夜の道を歩いているサイラス・ダーモットを放っておけず、ヘレナは早足で追いすがった。
「医者に行かないなら、傷を洗ってブランディーか何か吹きつけといたほうがいいわよ。 膿まないように」
 サイラスは首だけで振り向き、唸り声を返した。
「自分の頭にどうやって吹くんだ」
「もちろん人にやってもらうのよ。 傍仕えに」
「傍仕えなど、おらん」
「じゃ、執事とか部屋女中とか」
「執事も女中も雇ってない」
 ヘレナは唖然とした。
「豪邸に、たった一人?」
「通いの家政婦はいる。 だが夜は帰らせる。 うるさいからな」
「それより、お金使いたくないからでしょう?」
 フン、と呟くと、サイラスはまた足を引きずって歩き出した。


 がたぴしした後ろ姿を見ると、そのまま放っておけなかった。 この爺さんは金への執着が強すぎて、他はすべておろそかになっているようだ。 せっかく命を救ってあげたのだから、頭の切り傷ぐらいで孤独死してほしくない。 ヘレナは小走りになり、すぐサイラスに追いついて並んだ。
「じゃ、私が手当てしてあげるわよ」
 サイラスはうさんくさそうに横目を使った。
「その礼に、何がほしいんだ?」
 ヘレナはすばやく考えた。
「ひとつあるけど、お金を使うことじゃないわ」
「ほう」
 サイラスの眼が、ずるそうにまたたいた。
「言ってみろ」
「いいわよ」
 ヘレナは間髪入れずに答えた。
「ちょいと手紙を一枚書いてもらいたいの」


 二人は大通りを二百ヤードほど歩いて、のしかかるような門に到着した。
 サイラスは脇の通用門を開き、一応ヘレナを先に通らせた。 そして、鍵を二本使って玄関の扉を開け、中に入れた。
 そこは八角形の玄関広間になっていた。 意外に優雅だが、残念ながらよく見えない。 中央にある丸テーブルの真中に置かれたランプが、唯一の光源だったからだ。
 サイラスは低く咳をしながら、そのランプを手に持った。
「こっちだ。 言っとくが、これから行く仕事部屋には金はないぞ。 みな金庫にしまってあるからな」
「そしてその金庫は、頑丈な金庫部屋に鍵十本くらい掛けて入れてあるんでしょ?」
「かもな」
 そう言ってから、サイラスは低く笑いを洩らした。 彼が笑うなんて思っていなかったヘレナは、びっくりしてしまった。


 仕事部屋は真四角で、嫌になるほどきちんとしていた。 家具は一方の壁全面に並べた戸棚と、デスクと椅子。 それだけだ。 ちょっとした絵や、服をかけておくハンガーさえなかった。
 その戸棚の一つから、サイラスは上等そうなウィスキーの瓶を出した。
「わしの唯一のぜいたくじゃ。 無駄遣いするなよ」
「わかった。 包帯になりそうなもの、ある?」
「家政婦のメギーが、その引出しにハンカチを入れておる」
 ヘレナは大きいのと小さいのを一枚ずつ持ち出し、サイラスを座らせた。
 それから、鼻歌を口ずさみながら手提げを探って小鋏を見つけ、傷の周りの髪を注意深く切り取った。
「こうすると、髪の毛が中に入らなくて早く治るわ。 毛はたっぷりあるから、傷が治ったら隠れるし、すぐ生えてくるから我慢して」
 サイラスは黙っていた。 ヘレナは洗面器と水差しを持ってきて、よく見えるようになった傷口を洗った。
 不幸中の幸いだった。 襲撃者のナイフは切れ味がよかったらしく、三インチほど傷口が開いているものの、すっぱりときれいに切れていて、ゴミや土ぼこりはついていなかった。
 小さいほうのハンカチで水分を取って、ウィスキーを傷にふりかけると、それまで感心におとなしくしていたサイラスが、文句を言った。
「痛いぞ」
「しみるでしょ? でもそれが効くのよ」
「偉そうに」
「母さんが医者の手伝いしてたからね、見て知ってるの。 信じなさい」
 大きなハンカチでしっかりと頭を結んだ後、ヘレナは笑顔になった。
「はい、終了」







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