表紙

ダーネベルイの小さな店 9


 その年の春は珍しく長く、穏やかな生暖かい日々が続いた。 インゲボルクは何回も小さな靴屋に現れ、黒と茶色の二足も最新流行のブーツを作った。
 彼女が何を目当てに来ているか、誰の目にもはっきりしていた。 ヨハネスは知らん顔をしていたが、グンナールはそれとなく、息子の気持ちを確かめるような言葉を口にするようになった。
「あのパン屋の娘な」
 革をナイフで型紙に合わせて切断しながら、グンナールが言い出す。 ヨハネスは飾りに打つ鋲を探していて、上の空で答えた。
「え?」
「シュテーボリの町へ行って、夏至祭り用の服を作ってもらったんだと」
「贅沢だな」
 ヨハネスはそっけなく一言で片づけた。 ちょっとかがみ込んで、切った革の大きさを確かめた後、グンナールはたしなめるように言った。
「年ごろなんだよ。 好きな男にきれいと思われたいからさ。 かわいいじゃないか」
「インゲボルクは普段着で充分かわいいよ」
 本人もよく心得ているし、と付け加えるところを、ヨハネスは我慢した。 彼のいるところでは、インゲボルクは必ずしなを作る。 長い睫毛を数度パチパチさせた後、斜めにすくい上げるような視線で彼を見上げる。 誘っているのだった。 一緒に水車小屋へ行こうと。 持ち主のヤーライが年中酔っ払って酒場の隅で寝込んでいるので、水車小屋は若者たちにとって、安全で暖かい待ち合わせ場所になっていた。
 鋲の箱をいくつか取り出して、ヨハネスはどれが今仕立てている靴に合うか見比べた。
「金色と艶消し、どっちがいいかな」
 グンナールも手を休めて、鋲と作りかけの靴を眺めた。
「わしなら艶消しにする。 金は光りすぎに見えるがな」
「俺もそう思った。 じゃ、こっちの艶消しにするよ」
 頼もしそうに息子の背中を見守って、グンナールはもう一押しした。
「わしも来年は五十だ。 そろそろおまえと連れ合いに店を譲って、後は道楽で好きな靴を作ってみたいんだが」
「また若いよ、父さんは」
 ヨハネスは相手にせず、さっさと目打ちで縫い目を打ち込みはじめた。


 短い夏の長い一日を、もっとも華やかに彩るもの、それが古くから伝わる夏至祭りだ。 この日は昔から無礼講だった。 人々は輪になって踊り、いつまでも暮れない薄暮の中で、好きな相手の手を取って、奥まった寝室や森の中に消える。 この夜にあったことは口外しないのがしきたりだった。
 祭りの数日前から、街は浮き立っていた。 花飾りが店々の正面に下がり、出稼ぎに行っていた男たちが次々に帰郷して、家族との再会を喜んだ。
 そして老いも若きも、恋のチャンスを待ち望んでいた。 日頃引っ込み思案の若者でさえ、勇気を振り絞って、思いを寄せる娘にどうやって気持ちを伝えようかと作戦を練っていた。

 そんな中、ヨハネスはまったく変わらず、店に座って靴を縫っていた。 去年も、その前の年も同じように、こうやって祭りの盛り上がりにそっぽを向いて加わらなかったのだ。 今年も同じだった。 いくらカーリンがやきもきしても、父親が顔をしかめても、今日ばかりは踊る気がしない。 皆は勝手に楽しめばいい、という、ふてくされたような気持ちだった。
 にわか作りの楽隊が、あんなに練習したのに全然そろわない太鼓を陽気に叩き鳴らして、店の前を通った。 ヨハネスは振り返りもしなかった。
 その直後、店の戸がそっと開いた。 かすかなきしみは、賑やかな雑音にかき消されて、ヨハネスの耳に届かなかった。




表紙 目次文頭前頁次頁

Copyright © jiris.All Rights Reserved
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送