表紙

ダーネベルイの小さな店 1


 その夜、店の表戸がきしる音に、ヨハネスは目を覚ました。
 天窓から黒っぽい空が覗いている。 月の高さから見て、夜中の一時ごろだと思われた。
 下ではひそひそ声が続いていた。 どうやら客が来たようだ。 それにしても、こんな真夜中に靴を注文しに来る人なんて…… 好奇心に駆られたヨハネスは、寝巻きのままそっと起き出し、靴に足を突っ込んで、できるだけ静かに階段に忍んでいった。
 木の格子の間に顔を入れて下を眺めると、ちらちらするランプの暗い光の中に、黒い長マントを着た男の姿が浮き上がっていた。 手前にランプを掲げた父親のシルエットがあり、灯りの真下には、小さな子供が立っていた。
 大人二人は小声で話し合っていた。 ネズミの走る音さえ聞こえるほど静まりかえっているのに、よほど声量を落としているのだろう、何を言っているのか、ヨハネスには一言も聞き取れなかった。
 やがて話がついたらしく、客の男はマントの紐を結び直して杉板の扉を開け、一人だけで外に出ていった。 後には、靴屋の主人でヨハネスの父であるグンナールと、それに小さな女の子が残された。

 何も言わずに、グンナールは優しく少女の手を取って、階段を上り始めた。 ヨハネスは慌てたが、狭い二階の外れで逃げ場がない。 しかたなく、檻に入った猿のように柵を握ってじっとしていた。
 グンナールはすぐに、うずくまっている一人息子を見つけた。 呆れて、手を振り上げて頭をはたこうとしたが、ふっと気を変えた。
「どうせ明日顔見せするつもりだったんだ。 ちょうどいい。
 ヨハネス、この子はイングリッドだ。 インゲと呼びなさい。 今日からここに住むことになったんだ」
 ヨハネスは立ち上がった。 何を言ったりしたりすればいいか、まったくわからず、大きな灰色の眼をした少女を、ただ見つめていた。
 インゲも無言で彼を見ていた。 年は二つ三つ下らしいが、物怖じしない態度で、段の途中に立っている。 ヨハネスのほうが後ろに下がって、通り道をあけてしまった。
 グンナールは渋い微笑を浮かべた。
「あさってからはカーリンが戻ってきて、おまえたちの面倒を見ることになってる。 仲よくするんだぞ」
 仲よくって、女の子と? ヨハネスは、別種の生き物を見るような視線で、インゲをおっかなびっくり観察した。 顔はまあまあだ。 かわいいと言ってもいい。 だが、この生意気な態度は……
「眠いわ、マドセンさん」
 インゲが初めて口をきいた。 柔らかな、南部の訛りのある話し方だった。
 グンナールは、息子には決して出さない優しげな口調で答えた。
「すぐベッドの用意をしよう。 それから、マドセンさんじゃなく、父さんとお呼び。 これからはずっと」
「はい」
 インゲは意外に素直に答えた。

 二人が、道具置き場にしている小部屋に入っていくのを見送りながら、ヨハネスは割り切れない気持ちになっていた。
 この家の子供は僕だけだ。 なんであんな、誰かわかんないチビが入りこんでくるんだ。
 
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