表紙

ダーネベルイの小さな店 4


 夏の終わりから束の間に過ぎ去る秋にかけて、カーリンは何も持たずに来たインゲのためにせっせとセーターや手袋を編んでくれた。 インゲも一生懸命に目の作り方や編地の増減の仕方を習い、ただまっすぐに編んでいけばいいマフラーから始めて、秋口には踵のある靴下まで編めるようになっていた。

 当時、学校に通えるのは男の子だけだった。 それもたいていは初等科で止める。 上級学校へ行けるのはほんの一握りの金持ちの子か貴族の子弟のみだった。
 だが、木の葉が金色に変わりかけた秋口のある午後、ヨハネスはインゲが彼の教科書を覗いているのを見てしまった。
 食堂の机に放り出してあった読本を、インゲは読んでいた。 眉間に皺を寄せ、指で字をなぞりながら、さかんに思い出そうとして口を尖らせている。 それでも指は、ヨハネスの読む速度よりずっと素早く動いていった。

 この子、字が読めるんだ――ドアの陰から出るに出られなくなって寄りかかったまま、ヨハネスは悟った。 どこで生まれ、どのような家庭にいたか知らないが、彼女はただの靴屋なんかよりずっと上の階級で育ったらしい。
 そう気付いたとたん、ヨハネスはインゲが可哀相になった。 たぶん何不自由ないお嬢さん暮らしをしていただろうに、不意に中部の小さな町であるダーネベルイに連れてこられて、朝早くから水仕事、鵞鳥の世話、洗濯に食事の支度と働きづめなのだ。
 カーリン叔母がいるからまだいいが、それでもやることはたくさんあった。 しかし、これまでの三ヶ月、インゲが弱音を吐いたり不機嫌になったことは、ただの一度もなかった。
 よく頑張ってるよ、うちのチビは、とヨハネスは感心した。 楽しみの少ない毎日で、何かご褒美をやりたい、と思った。

 間もなく、雪と氷に冷たく閉ざされる冬が来た。 北部よりはいくらか気温が高いが、それでもダーネベルイは三日に一度は雪が降り、レールネ川は残らず凍りついた。
 子供たちはスケート靴をはいて、すべりに行った。 グンナールは靴屋だから加工はお手のもので、インゲのために足にぴったりした靴をあつらえてくれた。
 靴を抱えて、インゲはあいまいに微笑した。 どことなく戸惑っているようだ。 たぶん、スケートをしたことがないに違いない、とヨハネスは当たりをつけた。
 予想どおりだった。 分厚く張った氷の上で、子供たちは水すましのように動きまわり、手つなぎ鬼をしたり、ただがむしゃらに速さを競ったりしてはしゃいでいたが、インゲは頼りない足取りで氷上に踏み出すと同時に、右足と左足が反対側に動いていくので途方にくれた。
「ちょっと……ちょっとこれ……わあっ、やだ!」
 横に開きかけた脚を大急ぎで戻すと、今度は前後に広がってしまう。 インゲがじたばたし出したので、ヨハネスが笑いながら手を差し伸べた。
 すごい力でしがみついて、インゲはフウッと大きく息を吐いた。
「立ってられない。 どうやったらあんなにすいすいすべれるの? 信じられないわ」
「脚を棒みたいにしないで、膝を曲げて腰を落とすんだ」
 歩くのとほぼ同時にすべれるようになったヨハネスは、いろんなコツをよく知っていた。
「それで右前に体を少し倒す。 ほら、自然に前へ行くだろう?」
 片手を支えてもらっているので、インゲはぐらぐらしながらも一メートルばかり進んだ。
「今度は左で同じことをするんだ。 そら」
「腰の曲がったおばあさんになった気分」
 インゲは小声でぼやいた。

 半時間も過ぎたころには、インゲはどうにか一人で直進することができるようになっていた。 横を小さな子供たちがどんどん追い抜いていく。 中には、
「へたくそ!」
 と叫んでいくいたずら者もいた。 インゲは負けずに言い返した。
「私の故郷では川は凍ったりしないのよ! スケートはできないけど、私、泳げるわよ。 あんたにできる?」
 悪ガキは遠くからわざわざ戻ってきて、小鬼のように顔を縮めて、イーッとやった。 インゲもすぐに、目玉を鼻の横に寄せ、手のひらをこめかみに当ててひらひらさせて、お返しをした。

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