表紙

 -54- 苦悩は消え




 クロエは、字を追うのに集中しすぎて疲れた目を閉じ、眉間を指で揉んだ。
 喪服のまま、初めて正式に人々の前に姿を見せたリオネルの姿が、改めて思い浮かんだ。
──私のために出てきてくれたんだ。
 たとえ気が進まなくとも、私に身分を明かして求婚するために──


 視線を戻した紙面がぼやけた。
 手を顔から離すと、甲に涙が糸を引いてしたたった。
 私こそ短気だった、と、クロエは初めて思った。
 最初に逢った夜、あんなに親切にしてくれたのに。 本当の身分を知って衝撃を受けたとはいえ、せめてもう少し気を静めて、あの人が事情を説明するのを聞くべきだった。


『しかし、ドラクロワ邸の広間で貴女の顔を見たとき、とんでもない思い違いをしていたことに気付きました。
 貴女は心底驚いていました。 その瞬間、私は自分が稀な宝物を踏みつけにしたのがわかったのです。
 身分や財産という飾りのない、リオネル・トマというただの男に、貴女は愛を告白してくださった。 よりどりみどりで、いくらでも素晴らしい貴族の子弟を選べる立場だった貴女が。
 それなのに、わたしは愚かな思い込みから貴女の信頼を裏切り、自らすべてを投げ捨ててしまいました。
 そうなってから、必死で後を追いました。 あの後、ブランソー邸に駆けつけて会っていただこうとしましたが、嵐の中で扉を叩く者など相手にされません。 思い余って窓辺に物を投げても、やはり無駄でした。


 その後、夜明けまでこの手紙をしたためています。 つたない文とわかっています。 でも、心から反省し、貴女を傷つけたことをお詫びしたいのです。
 どうか謝罪を受け入れていただけますように。 貴女を愛しています。 失うと考えただけで、苦しくてたまりません』


 読み終わった手紙をゆっくり膝に降ろすと、クロエは椅子に寄りかかった。
 燃えるように熱くなった頬に、涙が次から次へ伝っていった。 それは悲しみの涙ではなく、後悔と喜びの証しだった。


 もう明け方に近く、窓辺に立つと、空の端が淡く色づいていた。
 それが希望の光に見えて、クロエは深く息を吸い込んだ。 それから素早く書き物机に行き、数行走り書きして封蝋で閉じてから、従僕を呼んだ。




 間もなく、太陽が顔を出して暖かい黄金色を広げた街中を、一頭の見事な馬が走り抜けていった。
 そして、半円階段がせり出す屋敷の前庭に駆け込むなり、大柄な青年がまだ完全に止まっていない馬から飛び降りて、玄関に向かった。
 彼が叩くより前に、巨大な扉はしずしずと両側に開いた。 そして、シャンデリアで飾られた玄関広間の中央に、薄紫のドレスをまとったクロエが立っていた。
 戸口で、リオネルはぴたりと足を止めた。 言葉にならない溜息が、口からゆっくりと吐き出された。
 そのかすかな音で、全てが変化した。 クロエは無我夢中で両手を広げ、忘れられなかった恋人に差し出した。
 直後にリオネルが溢れるような笑顔になって、その腕の中めがけて飛び込んでいった。





【完】      [エピローグに続く]













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