表紙

 -53- 洗いざらい




 開いた手紙は、筆圧の強い角張った文字でびっしりと埋め尽くされていた。 書きたいことが有り余っていたのだろう。 力を込めすぎて紙が引きつれている個所がいくつもあった。


『心より崇拝するクロエ・デグリュー嬢へ
 道を踏み誤った愚かな僕〔しもべ〕 リオネル・ド・カステルシャルムより


 どこから書けばいいかわかりません。 それほどわたしは初めから、間違ったことばかりしていました。 自分でもなぜこんなに不器用で理屈に合わないことばかりしていたのか、自らを恥じるばかりです。


 そもそも最初に貴女と出逢ったとき、すぐ名乗るべきでした。 とっさにそうできなかったのは、正直に申します。 うぬぼれがあったからです。
 カステルシャルムは良い婿候補と、フランスに戻って早々から言われ続けて、いつの間にかその気になっていました。 社交界にまみえたばかりの乙女たちは、きっと侯爵家に嫁ぎたいはずだと。
 でもわたしは、家族の相次ぐ死で気力を失っていました。 結婚相手を求めるどころか、普通の会話をするのも辛かったのです。
 ですから、若く独身の貴女がわたしを使用人とまちがえているのを知って、礼儀を守らず仮面の陰に逃げ込んでしまいました。
 まったく馬鹿な態度でした。 同じ社交界にいるのですから、遅かれ早かれ本名がわかってしまうに決まっているのに。


 そんなわたしに、貴女は好意を持ってくださいました。 とても信じられませんでした。 世間的にみて当たり前のことです。 あまりにも身分が違うはずなのですから。
 それでまた誤解しました。 よく顔を知られた故郷ではできない火遊びを、パリで楽しもうというのではないかと。
 しかし、どこにも人の目はあります。 そして、噂になって非難され苦しむのは女性ばかりなのです。 
 だからわたしは、貴女を怖がらせようとしました。 あまりの無礼さに、きっとお怒りになるはずでした。
 そんな大人ぶった高慢な考えで教会に行ったわたしでしたが、唇を奪った瞬間に目がくらみました。 頭が真っ白になるという経験を、生まれて初めて味わいました。


 あのとき、あと五分、いえ一分でも時間があれば。
 のぼせたのはわたしのほうでした。 初めて逢ったその夜に貴女の夢を見たのも、どうにかしてまた傍に行きたいと望んだのも。
 わたしは貴女にだけでなく、自分にも嘘をついていました。 抱きしめたいと願ったからこそ逢いに行ったのに。 とっくに貴女一人と決めていたのに、自分の心に認めようとしなかったのです。
 でも教会で、オルガンの前で、気付いた後すぐ、貴女に求婚しようとしました。 ブランソー夫人の登場など無視して申し込めばよかったと、後悔しない日はありません。


 数日前、ブランソー夫人が内密に訪ねてこられました。 そして、ドラクロワ邸の舞踏会で庭にいたのは貴方でしょう? と言い当てられました』


 クロエの眼が裂けそうに見開かれた。
 伯母様! ご存知だったのですか?


『あの子は遊び相手には向きません、一途に真心を捧げてしまう性格ですから、と伯母様はおっしゃいました。 そして、貴方の妹さんの悲劇を繰り返したいのですか、とも。


 跡取として育てられたわたしのような男は、指図され強要されるのが、我慢できないのです。
 それにブランソー夫人の訪問は、あまりにも時機を得ているように感じられました。
 怒りのせいで気を回すことになり、わたしは勝手に思いこみました。 やはり貴女はカステルシャルムの地位と伝統が欲しいのだと。 初めからわたしの正体を知って近づいてきたのだと』













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