表紙

 -1- 顔見世の旅




 フランス北東部のルテルからランスへ、そしてパリへ。
 箱馬車の後部に大荷物をくくりつけての旅は、決して楽なものではない。 でもクロエは、揺れる馬車の中からゆっくり移り変わる景色を眺め、胸をときめかせていた。
 揺れるといっても、昔に比べれば遥かにましだと、付き添いのブランソー夫人は言う。
「あの徳の高いフルーリー枢機卿さまが、都への道を立派に舗装してくださったからね。 おかげで旅が格段に楽になったのよ」
 フルーリー枢機卿は、現王ルイ十五世の元教師で、後に国王の摂政として国の中心になった。 温厚で賢く、なかなか評判のいい宰相だったが、十年前に高齢で亡くなっていた。
「フルーリー枢機卿さまにお会いになったんですか?」
 まだ十六歳で、十年前にはほんの子供だったクロエが訊くと、プロヴァンス近くに孫のいるブランソー夫人は、得意そうに胸を張った。
「もちろんよ。 ランスの大聖堂へお見えになったとき、お説教を聞いたわ。 そしてもちろん、パリでもね」
 もちろん、という言葉に含まれる自信が、クロエにはうらやましかった。 クロエは静かな片田舎の地で育ち、十歳で修道院学校に入れられて、外の世界をよく知らない。 だからこそ、やや退屈なブランソー夫人の話でも聞き漏らさずに、これからデビューを迎える社交界について少しでも知ろうと、いろいろ尋ねかけているのだった。
「王様は、どんな方? 肖像画では美男子ですね」
「本人もお綺麗よ。 でも」
 ブランソー夫人は秘密めかして扇を広げ、口元に当てて声をひそめた。
「お相手の趣味がよろしくないの。 国の頂点に立つ国王なのだから、毅然としていらっしゃらなくては。 それなのに、ブルジョワの女なんかと」
 嫌悪の印に、ブランソー夫人は豊かな肩をぶるっと揺すってみせた。
「宮廷には美しい貴婦人があふれているというのにね」
「ええと、ポンヴァトール夫人でしたっけ?」
 クロエがうろ覚えを口に出すと、夫人は吹き出した。
「それを言うなら、ポンパドゥールよ。 本名はポワソンとかいうの。 ずうずうしくて、政治にまで口を出すそうよ」
 こうして話が下世話になり、面白くなりかけたときに、御者が馬を止める気配がして、馬車が停止した。
 すぐに御者と傍仕えが馬車の前後から降り、扉を開けた。
「宿に着きました」
 話に夢中で気付かなかった伯母と姪は、びっくりして顔を見合わせた。


 従者に手を取られて、まずブランソー夫人が降りた。
 街道沿いの宿屋『青猪亭』は、中程度の大きさだが料理がうまく、客あしらいも上手で評判なので、旅なれた夫人が選んだのだ。
 評判にたかわず、中庭には幾台もの様々な形の馬車が出入りしていた。 その一つ、黒っぽく飾りのない大型馬車から顔をのぞかせた男が、動きを止めた。 彼の目は、夫人に続いて馬車から降り立ったクロエの上気した顔に、じっと据えられていた。





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