表紙

 -49- 複雑な心境




 やがて二年前をなぞるように、クロエの周囲には賛美者の輪ができあがった。 ほとんどが新しく会った青年たちだったが、中には以前からのなじみがいて、その一人が陽気なボルニック伯爵だった。
 知り合いということと身分とを利用して、伯爵はクロエのすぐ傍に陣取り、彼女がいなかった期間のパリで起きたことを、面白おかしく語ってきかせた。
「アデル嬢がヌヴェール公の奥方になったのを、もうご存知ですか? 公爵は無愛想で有名で、おまけに父親の後添えを閉じ込めて衰弱死させたなんて噂を立てられてましてね。 初めに花嫁候補になったディアヌ・ド・ラファンティーエ嬢が、大慌てでアシル・バルトネー伯爵を捕まえて、挙式して逃げたそうですよ」


 ディアヌ? あのいじめっ子?
 クロエは俄然、耳をそばだてた。
「ヌヴェール公は赤っ恥をかかされ、もう去年のシーズンでは妻になる人は見つからないだろうと噂されました。 だから、人気者のアデル嬢が彼と婚約したと発表されたときは、みんな耳を疑いましたよ。
 ところがどうです? 公爵とあわただしく式を挙げて、人里離れた沿岸地方に去っていったアデル嬢が、一ヶ月前にこちらへ里帰りしたときの様子ったら!」
「どんなでした?」
 アデルはレオニーの親友で、クロエの友でもある。 まだレオニーの口から聞く時間がなかった話なので、クロエはぜひ結末を知りたかった。
「まるで王妃様。 あんなにきらびやかなローブと宝石をつけて、幸せ一杯で凱旋〔がいせん〕してくるなんて、誰も想像すらできませんでした。
 ちょっとしか話せなかったけれど、そんな豪華な装いは要らないというのに、ご主人の公爵が買い集めてしまうんだそうです。 もう奥方にメロメロで」
 そこで一息ついて、ボルニック伯はいたずらっ子のように片目を閉じてみせた。
「実は、彼はとてもいい人だったんですよ。 噂なんて当てになりませんね。
 それに引き換え、急いで夫を決めたディアヌ嬢のほうは、相手が浮気のし放題で、楽しくない日々を送っているとか。 なぜかアデル嬢、おっとヌヴェール公爵夫人の悪口ばかり言っているそうですよ」
 それを聞いて、クロエは遠慮なく笑顔になった。
「アデルは人を見る目があるんです。 賢くて思いやりのある女性ですわ」
 そこで疑問が湧いた。
「幸せなら、私にも知らせてくれたら嬉しかったのに」
「ああ……あの、そろそろシャコンヌが始まりますよ。 踊っていただけませんか?」
 具合悪そうに話をそらす伯爵を見て、クロエは気付いた。 サンパトリックの死で大きな痛手を受けたクロエの気持ちを、パリの知り合いは未だに気遣ってくれているのだと。


 嬉しいよりも、気が重くなった。 久しぶりに華やかな表舞台に出て、疲れが重なってもいた。 クロエはとても踊る気になれず、とっさに以前よく使った口実で、ボルニック伯爵に飲み物を頼み、彼が取りに行く間に、鉢植えの横で椅子にもたれて舟をこいでいる伯母のもとに行ってしまった。
 途中でクロエは、さっきリオネルが立っていた辺りに目を走らせた。 彼はそこにはもういなかったし、近くにも見えなかった。
 もう帰ってしまったにちがいない。 そう思ったとき、ほっとする気持ちと奇妙な寂しさが交錯した。


 横に座ると、ブランソー夫人は目を覚まして、眠そうに笑いかけた。
「私のことなら気にしないで。 楽しんでいらっしゃいな」
 そして、クロエが答える前に、また眠りに落ちた。
 その様子を見ていると、クロエまで睡魔に襲われそうになった。 なにしろ早起きが好きな体質だ。
 あくびを噛みころそうとして横を向いたとき、植木鉢の奥にある扉の隙間から、男たちの声が聞こえてきた。
「二十ルーヴル? 初めからそんな高額の賭け金なのか?」













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