クロエ047

　-47-　再デビュー

　ブランソー夫人ご自慢の小間使いロマーヌが、クロエの豊かな黒髪を梳かし終えて、ようやくふんわりした形に整えはじめた。　当時はまだ仰天するほど付け毛を入れて髪型を大きくするようなことはなく、柔らかくまとめてカールを散らすぐらいだった。
　姪の様子を満足そうに眺めながら、ブランソー夫人はカステルシャルム侯爵の近況を語り続けた。
「その割には、ほとんどダンスに参加なさらないの。　同性の殿方とテーブルを囲んで、賭け事をするばかりで」
　クロエは眉をひそめた。　よりによって賭け事とは！　クロエの父は真面目な農園経営者で、賭博を蛇のように忌み嫌っていた。
「そんなに遊び好きな方なんですか？」
「どうなんでしょうね。　少なくとも、女遊びには縁がないようよ。　賭けも、お好きというより、強いから止められないんじゃない？」
「強い？」
「そうなの」
　そこで伯母は、面白そうに目を光らせた。
「掛け金が小さいうちは、普通に勝ったり負けたりらしいの。　でもいざ大金のかかった勝負となると、絶対負けないんですって」
「運が強いんですね」
　ぼんやりと答えるクロエに、伯母は力を入れて応じた。
「恐ろしいほどね。　この一年で財産を倍近く増やしたと、もっぱらの噂なの」
　クロエの頬が、暗い笑いで引きつった。
「もともとお金持ちなのに？」
「そうそう。　だから負けた人たちがそっとしておいてくれないのよ。　取り戻すまで侯爵に挑戦し続けるってわけ」
「でも、また負けたら？」
　伯母は目を閉じてうなずいた。
「まさにそうなってるらしいわ」
「悪循環ですね」
　クロエには、ますますカステルシャルム侯爵の人間像がわからなくなってきた。

　翌日は長旅で疲れた体をいたわり、新しい屋敷に慣れるのに、丸一日使った。
　そして次の日、クロエと父はドラクロワ邸での舞踏会で、二年ぶりのお目見えを果たした。
　もうデビューの新人ではないけれど、既婚者でもない。　だからドレスは淡い色調ではなく、濃い目のバラ色を選び、銀糸の広幅レースで飾った。　父のデグリュー侯爵は、久しぶりの大規模な舞踏会で初めは緊張ぎみだったが、昔なじみのクリュニー男爵夫妻と会って話を交わしているうちに、肩の力が抜けて豪快に笑いあうようになった。

　緊張していたのはクロエも同じだった。　以前の求婚者や取り巻き達の半数はパリを去っている。　残りも別の相手を追っているか、もう身を固めただろう。　また一から社交生活を築かなければならないと覚悟しているところへ、不意に藤の花のような姿が駆け寄ってきた。　そして、勢いよくクロエに飛びついて抱きしめた。
「クロエ！　やっと戻ってきてくれたのね！」
　強い抱擁に目を白黒させている内に、相手は華やかな声で人を呼び集めていた。
「ねえ来て！　ご紹介するわ。　こちらが親友のデグリュー侯爵令嬢よ！」
　すると来るは来るは、たんぽぽの綿毛のようにふわふわしたドレスに包まれたお嬢さんたちが、投げた餌にむらがる鯉のごとく寄ってきて二人を取り巻いた。
　まだクロエに腕をかけたまま顔を輝かせているのは、舞踏会の主催者ドラクロワ伯爵の長女レオニーだった。　彼女もこの二年で幼さが消え、凄いほどの美女になっていたが、まっすぐな瞳と率直な話し方は変わっていなかった。
　ずっと手紙のやりとりを続けていた親友に大歓迎されて、クロエの胸も温かくなった。
「レオニー！」
「寂しかったのよ～。　また一緒に馬車に乗って町見物しましょうね。　積もる話もたくさんあるし」
「お姉さまっ」
　取り巻いた少女たちが紹介を催促した。　レオニーは笑って、改めてクロエに告げた。
「そうだ忘れちゃいけないわ。　これが妹のコリンヌ。　学校から戻ったところよ。　それに従姉妹のロールとソフィ。　みんなあなたに憧れているの。　だって伝説の社交界の花形ですもの」
　私が？
　クロエは戸惑い、頬を紅潮させて見つめる少女たちに目を走らせた。　すると卵から孵ったばかりのヒヨコのように、彼女たちは次々と口を開いた。
「ええ！　だってデビューわずか一ヶ月で六人の殿方をひざまずかせた方でしょう？」
「お目にかかってよ～くわかりました。　ただお綺麗なだけじゃない。　引き寄せられるような磁力が感じられますもの」

　まさかそんな。
　年端のいかない娘たちの崇拝に近い憧れに、閉口したクロエは思わず視線を外した。
　そのとき、舞踏室の左手についた三つの扉の一つが開き、男が出てきた。　白金色のかつらをかぶり、眩しいほど白い繻子の上着と半ズボンをまとった、一八○センチを越す大柄な男性だ。　華やかな服装なのに白ずくめで、色といえば靴下止めの金バックルと、歩くときにひるがえる裾裏の鮮やかな赤だけだった。

表紙

前頁

次頁

SEO		[PR] 爆速!無料ブログ無料ホームページ開設無料ライブ放送