表紙

 -44- 雌伏の日々




 故郷のルテルで、クロエはその後二年間を静かに過ごした。
 活発なところは変わらないが、もう地元の子供たちと組んでいたずらをし回るようなことはなくなった。
 代わりに、クロエはよく散歩した。 あまりに足が速くて丈夫なので、付き添いの小間使いでは追いつけなくなり、今では若い下男が少し離れて随行していた。
 長時間乗馬することも、よくあった。 こちらは主に兄と一緒だ。 二つ年上のユベールは、怪我のリハビリと妹の護衛を兼ねて、アルデンヌ河沿いを高原のほうまで、ひんぱんに遠出した。


 だが、月日が経つと、家族の事情も少しずつ変わってゆく。
 二十歳の誕生日を祝ったあたりから、兄が忙しそうになった。 馬に誘っても、三回に一回は断られる。 そして急に、服装に気を遣うようになった。
 その姿は、クロエにも身に覚えのあるものだった。 兄は恋をしている──そう感じるとすぐ、彼女は相手をそっと探しはじめた。
 よく言えば正直、実をいうとお人よしでまっすぐな兄のことだ。 心惹かれた女性は、あっけないほどすぐわかった。
 それは何と、隣の領地の妹娘で、小さいときは色黒の痩せっぽっちだったオーレリア・シドンだった。


 姉のほうのベルトが、その年の夏に結婚した。
 花婿はトリノ、つまりイタリアの古都の貴族で、フランス語を流暢〔りゅうちょう〕に話す黒髪の美男子だった。
 エンリコと名乗る彼は、スイスからフランス、スペインに至る周遊旅行に出る際、身分をやつしてダンス教師のふりをしていた。 追いはぎや詐欺師から身を守るためだが、道半ばで『ルテルの百合』と評判の高い淑やかなベルトと知り合い、恋に落ちてしまった。
 ベルトはれっきとした伯爵令嬢だ。 父の伯爵が交際を許すわけがなく、あわや袋叩きにされそうになったとき、その場にいた伯爵の甥がエンリコの顔を思い出して叫んだ。
「ちょっと待って! この人にミラノの舞踏会で逢いましたよ! 確かトリノ公だったですよ!」


 というわけで、修羅場はあっという間に歓迎会に変わり、エンリコはベルトとその日のうちに婚約した。
 彼は公爵本人だから、誰の許可も受けずに嫁取りができる。 おまけに大富豪で、持参金など気にもしない、という好条件に、伯爵は夢を見ている心地だった。
 ただ一つ、エンリコが言い張ったのは、婚礼の後すぐに花嫁をトリノに連れ帰ることだった。 伯爵は娘たちを可愛がっていたので、八百キロも離れた異国に長女が去ってしまい、めったに里帰りもかなわないと知って、ずいぶん落ち込んだ。


 エンリコは、伯爵の領地に興味を示さなかった。 だから後を継ぐのは妹のオーレリアになる。 ユベールの恋が実れば、隣同士の領地がつながり、どちらの家にとっても得な縁談になるはずだった。











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