表紙

 -41- 読めなくて




 帰りかけていた使いの者は、腰をかがめて手紙を拾って、また差し出した。 きっと手がすべって落としてしまったと思ったのだろう。
 クロエは両手を後ろに回し、強ばった声で言った。
「受け取れないわ。 持って帰ってちょうだい」
 若い男は、ぽかんとした表情でクロエを見つめた。
「あの、侯爵様がじきじきに書かれたものなのですが」
「そう。 でもよく知らない男性から手紙を頂くなんて、よくないことだと教えられているから」
 それは、精一杯の皮肉だった。 だが、与えられた役目が大事な若者は、困りきった様子で折りたたんだ紙をクロエに押し付け、再びはらはらと落ちても今度は拾わずに、一礼して立ち去っていった。


 地面に横たわった上等な紙を、クロエは黙って凝視した。
 侯爵が何でこんなものを送ってきたのか、理解できなかった。 せめて身分を隠したことを一言ぐらいは詫びているかもしれないが、それでも大部分の内容は、衝動的な娘を大人ぶってたしなめる小言だらけなのだろうと、クロエは予測した。
 そんなものを今さら読む気は、まったくなかった。 もうお説教なんか必要ない。 故郷で待つ父の期待に添って、文句のつけようのない花婿を選んだのだから。
 そのまま引き返しかけたとき、クロエは気付いた。 今は使用人たちが庭中駈けずりまわって嵐の後片付けをしている。 彼女宛の手紙をこのままにして、誰かに拾われでもしたら……。
 仕方なく、クロエは紙の端を持って、ゆっくりつまみ上げた。 指先がちりちりして、持っているのが辛く、急いでジュップのポケットに押し入れた。


 裏口から自室に入った後、手紙を焼くべきだと思った。 だが季節は夏で、しかも平年以上に暖かく、暖炉は空だ。 昼間だから照明もない。 火が手元になかった。
 やむを得ず、細かく引き裂こうとやってみたものの、紙が上質すぎて分厚く、なかなか切れない。 意地になって机の引出しから裁縫用の鋏を出したところへ、ノックもせずに誰か部屋に入ってきた。
 クロエはとっさに、鋏の入っていた引出しに手紙を放り込んで閉めた。 ほぼ同時にブランソー夫人が近づいてきて、扇の先でポンと姪の背中を叩いた。
「みえたわよ、サンパトリック子爵が! 今、下に紋章入りの馬車が止まったところ。
 私がお相手してるから、すぐお着替えなさいな。 顔色が良く見える明るい色の服にね」











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