表紙

 -29- 申し込みか




 思わせぶりなこと言って……。
 クロエはちょっとムッとしたが、伯母にむかっては不機嫌を顔に出さなかった。


 そんなことより、彼女の頭はリオネルの不敵な態度と、罪深いキスの思い出で一杯だった。
 そのせいで、いつの間にか伯母のブランソー夫人が傍を離れ、代わりにサンパトリック子爵がすぐ前に立っていることに気付かず、話しかけられてびくっとなった。
 子爵は慌てて詫びた。
「すみません、驚かせてしまって。 もう観劇会はお開きのようですから、帰る前にちょっとお話しようかなと思ったんですが」
「え? ああ、はい」
 クロエは急いで意識を集中させた。
「楽しいお芝居でしたね」
「まったく。 シュヴァリエ・アラザールの演じたスカパン、見ました? あの忍び足ときたら、まるで本物のこそ泥みたいでしたよね」
 二人は顔を見合わせて、くすっと笑った。
「あの方はとても演技がお上手」
「うますぎるぐらいだ。 実は」
 サンパトリックが顔を寄せて、小声で囁いた。
「芝居の話を持ち出したのは彼なんです。 目立ちたがりですよ。 サンジェラール夫人の顔を立てて、取り入りたいんでしょう」
「器量よしの殿方ですしね」
 クロエの何気ない言葉を聞くと、サンパトリックは表情を強ばらせた。
「シュヴァリエのような美男子がお好きですか? 鼻筋の通った古典的な顔立ちが?」
 クロエは面くらった。
「いいえ、そんな。 つまりもちろん嫌いではないですが、アラザール様をよく知りませんし、特に親しくなりたいとも思ってません」
 すると、サンパトリックの顔にみるみる喜色が広がった。 そして、いきなりクロエの手を取って持ち上げ、唇をつけた。
 クロエはたじたじとなった。 子爵の態度がいつもと違う。 どこか切羽詰ったものを感じさせるのは、気のせいだろうか。
「あの……」
「明日お宅へ伺います。 許していただけますか?」
 クロエは小さく口を開けて、触れ合うほど近くに立っている青年を見上げた。
 わざわざ断って屋敷に来る、ということは、正式な申し込み以外考えられない。
 求婚だ!
 生まれて初めての経験に、クロエの鼓動が一気に高まった。










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