表紙

 -27- 反省と希望




 馬車の中で、クロエはいつになく口数が少なかった。 話しかけてもトンチンカンな返事が戻ってくるか、または反応がないかなので、ブランソー夫人が心配そうに姪の顔色を確かめた。
「どうしたの? 急におとなしくなっちゃって。 それに顔が赤いわ。 熱があるんじゃない?」
「いいえ」
 クロエは慌てて否定した。
「告戒が気にかかって」
「ああ、余計なことを言ってしまったと思ってるのね」
 伯母はすぐ納得した。
「私もしょっちゅうよ。 大したことじゃないわ。 彼らは口が固いもの」
 クロエはぼんやりと窓の外を眺めた。 人けのない教会の上階で起こったことが、頭を占領して離れない。 大股で近づいてきたリオネルの顔が、意識一杯に広がる。
 あれは、怖い顔だった。 別人のように冷たく、決意を秘めた表情……。
──彼は私をたしなめようとしていた──
 そう認めると、恥ずかしさで体が縮んだ。 密会の誘いに乗るなんて、軽薄で誘惑に弱い娘と思われたにちがいない。
 だが、キスそのものに後悔はなかった。 抵抗しなかったのは、相手がリオネルだったからだ。 そして彼は、途中からすばらしく優しくなった。
 私の初めてのキス……思い起こすと、ふたたび全身を火にあおられたようになった。 クロエは窓枠を指で掴み、目を閉じて願った。
 あの短くも永遠の時間を、いつまでも鮮やかな記憶として残せますように。




 三日後、ブランソー夫人とクロエは、サンジェラール家で開かれる野外劇の会に招かれた。
 当時の上流社会では、貴族たちが素人俳優として、名の知れた劇を演じるのが流行していた。 特にイタリアではとても盛んで、つられてフランスでも余興としてよく行なわれるようになっていた。
 その日の出し物は『スカパンの悪だくみ』だった。 出演者の水準がばらばらで、役者のようにうまい人と、どうしようもない棒読みの大根が混じっていても、喜劇だからバランスの悪さが逆に可笑しく、観客は時に野次を飛ばしながら大いに楽しんだ。
 クロエも客席の中ごろで、何度も笑い転げた。 若さゆえに立ち直りも早い。 この次リオネルに逢えたら、相手が彼でなければ教会で忍び会う約束など絶対にしなかったと言おうと決めてから、心が落ち着いていた。
 それが恋の告白だということに、彼女はまだはっきりとは気付いていなかったが。











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