表紙

 -12- 庭で見た人




 クロエの背中に、電撃のようなしびれが走った。
 私のことだ!
 こんな正式な夜会に人のお古を着てくる娘が、他にいるとは思えない。 なんて運が悪いんだろう。 最初の注文主もここに来ていたなんて!
 背後の会話は、さらに続いた。
「値切って買ったんでしょうね。 お気の毒だわ、そんなに困ってらっしゃるなんて」
「なにが気の毒なもんですか。 私のドレスを拾って着るなんて、恥ずかしいことをよくするわ!」
 もう我慢できなかった。 クロエは大柄な男性が傍を通ったのを幸い、その陰に隠れて立ち上がると、庭の暗がりに突進した。


 ポーチの太い柱に寄りかかったクロエは、戻ってくるサンパトリックの姿を目にした。 今は会いたくない。 鼻にかかった声でバカにしていたあの令嬢、たしかディアヌ何とかいう娘が、周りに言いふらせば、これからずっとまともに顔を合わせられなくなる。
 クロエは柱につかまっていた手を離し、身をひるがえして背中で寄りかかった。 後頭部を冷たい柱につけると、涙がこぼれそうになったので慌てて瞼を閉じた。
 そのとき、間近でかすかな足音が聞こえた。 クロエははっとして目を見開いた。
 すると、五歩ほどの距離を置いて、男が立ってこちらを見ていた。 飾りのない黒一色の服をまとっているため、首から下が暗がりに溶け込んでいた。


 すっきりとした輪郭の白い顔が、静かに近づいてきた。 そして、低い声で言った。
「お一人で出てこられては危険です。 どうかお戻りください」
 黒服の従僕だ──クロエはまばたきして、涙でかすんだ眼の曇りを取った。 伯母が話していたとおり、美しい。 二歩ほどの距離にいる今、彼はビロードの闇に覆われた天使ガブリエルのように見えた。
 召使には召使の世界がある。 主人たちの噂がすぐ伝わるのも知っている。 だが、彼らの言葉が雇い主を動かすことは、ほとんどない。
 だからクロエは肩の力を抜いた。 この人は親切だし、口が固そうだと感じ取った。
「悪口を言われたの」
 あっさり打ち明けて、クロエは大理石の柱を悔しそうに手で打った。
「返品されたドレスを着てきちゃったから」
 従僕はクロエの服をちらりと見て、すぐ目を上げた。
「そっくりそのままですか?」
「え? いいえ、胸飾りを取り替えたわ。 布地が汚れていたから。 それと、胴回りも直したし」
「細くしました?」
「ええ」
 すると、青年の口元に、かすかな微笑が揺れた。
「それなら、いい手がありますよ」










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