表紙

 -9- 壮大な屋敷




 大雨が上がった後で、ようやく外に出られた人たちの群れがひしめき、道は思ったより込んだ。
 注意し、怒鳴り、果ては割り込む荷車に鞭までふるって、ブランソー夫人の馬車は混雑する街路を何とか進んでいった。 その間、車の中では上機嫌な夫人がクロエに社交界で注意することをいろいろと聞かせていた。
「緊張して棒のように突っ立っていてはだめよ。 でも愛想を振りまきすぎるのもだめ。 初めはしおらしく控えめにしていれば、私がさりげなく連れ回して、知り合いに紹介してあげるわ」
 それは故郷でも同じやり方だ。 幼い頃、有力地主の奥さんが人見知りしないクロエを気に入り、母を早く失った彼女のために、貴族の作法として、近所の大人に対する挨拶の仕方や取るべき態度などを教えてくれた。 その奥さんがいなければ、活発なクロエは学校に入るまでずっと、山猫のような自然児のままだったかもしれない。
「そもそもあなたは無理して自分を飾る必要はないわよ。 正直言って、あなたより美しい新顔はいるでしょう。 でも、あなたほど魅力的な子は、たぶんいないわ」
 クロエはうまく返事できず、目をしばたたいた。 自分の魅力など、これまでろくに誉められたことのない身にわかるはずがない。 ただ綺麗なドレスを着たため、そう見えるだけだと思った。
「それは伯母様のひいき目ですわ。 私にコケット(そそる魅力)なんかあるわけないですもの」
 夫人はにんまりして、片目を軽くつぶってみせた。
「コケットにもいろいろあるのよ。 私を信じなさい」


 だいぶもたもたしたが、それでも舞踏会が始まって一時間もたたぬうちに、二人の馬車は軽い車輪の音を響かせながら、ド・クリュニー邸の門をくぐった。
 すぐに、黒の服に身を包んだ従僕たちが出てきて、丁重に頭を下げた。 彼らの一部は空になった馬車を誘導し、残りの二人は松明〔たいまつ〕を掲げて、薄暮の中を壮大なギリシャ風の玄関まで案内した。
 前には数組の招待客が並んで、屋敷の主人夫妻に迎えられるのを待っていた。 わざとゆっくり歩きながら、ブランソー夫人は姪に耳打ちした。
「従僕たちが地味でびっくりした? 普通は屋敷の飾りとして、派手な制服を着るものなんだけど、ここは考え方が違うの。 お客様方の凝った衣装を引き立てるのに、黒がふさわしいと決めてるのよ」
 それから先導の従僕に聞こえないように、夫人は一段と声をひそめた。
「でも、ここの召使はパリで一番の美男ぞろいなのよ。 黒一色しか着ないなんて、もったいない気がするわね〜」
 耳打ちされるクロエは、きょろきょろしないで周囲を見回すのに夢中で、よく聞いていなかった。
 信じられない。 ここと王宮とどちらが大きいだろう。 右にも左にも、見事に設計された幾何学庭園が見渡すかぎり広がっている。 ずっと奥のほうに、本館と同じ大理石の別棟が小さく連なっているのがわかるが、きっと本館に勝るとも劣らない大きさなのだ。
 すごい、すごい!
 クロエは屋敷に入る前から、途方もない規模の大きさにすっかり圧倒されていた。


 ようやく玄関を入ると、今度は人いきれと脂粉の香りに後ずさりしそうになった。 何が内輪の集まりだ。 ざっと眺めただけでも、玄関広間と奥の舞踏室を行き来する人影は百人を下らなかった。
 紫の繻子〔しゅす〕と何十メートルものレースで花かごのように飾ったレア・ド・クリュニー夫人が、象牙骨の扇子であおぎながら笑みを浮かべて二人に歩み寄ってきた。
 夫人の横には、上等なかつらをかぶったひょろ長い紳士が寄り添っている。 彼は白と赤を基調にした光沢のある生地の服に胸飾り、袖飾り、金の帯をつけまくっていて、奥方よりずっと派手。 ただ残念ながら肩幅がないため、服ばかりが目立ち、洋服掛けからぶらさがっているように見えた。
 彼がこの館の主人、エティエンヌ・モーリス・ド・クリュニー男爵なのだった。










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