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 エレの顔が、強く引き締まった。
 まだ空は明け切っていないのに、トーメは眩しそうに目を細めて雲を見やっていた。
「おかしなものですねえ。 アドリアンは人望があって、いつも友人に取り囲まれていた。 だが、彼が秘めた恋を打ち明けることができたのは、わたしだけだった。 恋愛にまったく興味がないこのクリストフ・トーメにだけ! 世の中は、奇妙なことで満ちていますね」
 この人は、フェデが反逆をたくらんでいたことを知っていたのだろうか。 エレにはわからなかった。 知っていればこんなに無邪気に打ち明けないだろうとも思えるし、いや逆にすべて腹に収めているからこそ先手を打って語りだしたのじゃないかという気もした。
 エレは賢い男性が好きだった。 だから少しわくわくしてきた。
「娘はアドリアンに好意を持っていました。 恋ではなかったけれど、思いやりがあって尊敬できる殿方と感じていたようです。
  親の欲目かもしれませんが、娘のマールは同い年の娘たちよりはしっかりしています。 あなたのご研究の邪魔をしたり、生活を乱すようなことはしないでしょう」
「どうやら願ってもない縁談のようですね」
 トーメは慇懃に言った。
「喜んでお嬢さんのお手を取らせていただきます」


 その同じ日の午後、ようやく長く退屈な午前会議から解放されて、フランソワが自宅に戻ってきた。
 部屋着に換えて正装の重いカツラを弾き飛ばすと、短く刈り込んだ頭に布を巻いて、フランソワはマールを探しに行った。
 マールは図書室にいた。 大事な時期だから剣術の稽古や乗馬は慎むことにして、窓辺に腰をかけて本のページをめくっていた。
 ドアを開いたフランソワの目に飛び込んできたのは、長い首をゆるやかに傾けて無心に読書する娘の姿だった。 その横顔はラ・トゥールの肖像画のように艶やかで麗しく、母になるものの神々しささえ感じさせて圧倒的だった。
 マールを男の子のように可愛がってきたフランソワはたじろいだ。 いつものマールはどこに行ったのだろう。 これでは話しにくいじゃないか。
 だが、すべてをエレ一人に押し付けるわけにはいかない。 フランソワは戸口に足を踏ん張って立ち、低く咳払いした。



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