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 やがてセルジュは、意を決して黒々とした空を見上げた。
「俺にとって、絵は慰めで、苦しいときの気晴らしで、心の支えだった。
 絵なんか家具の一部としか思わない金持ちどもの言うなりに、退屈な神話やエロ絵を描かされるのは御免だと、思いつづけていた。
 でも、気が変わった。 練習だと思えばいいんだ。 なかなか手に入らない絵の具やカンヴァスを使わせてもらって、できるだけ自分の好きなように描いて、その上金まで貰えるんだ。 考えてみれば、こたえられない話だ」
「ええ、そうよ」
 できるだけセルジュの気持ちを引き立てようとして、マールは明るく相槌を打った。
「カルナヴォン伯爵の下男よりは、自由がきくと思うわ」
「たしかに」
 かすれた声で笑って、不意にセルジュはマールを抱え上げた。
「お姫様、おおせの通り、絵の修業は続けます。 その代わり、ニース行きはやめて下さい。 パリに留まって、わたしの心の灯であり続けてください!」
「ええ、それがあなたの望みなら」
 有頂天で、マールは熱く答えた。
 そのまま、セルジュはマールを東屋に抱き入れた。 そこは月の光も届かぬ、深く甘い暗闇の世界だった。
 マールをベンチの上に横たえると、セルジュはかたわらに膝をついて、胸に顔を埋めた。
「これからは、あなたのために生きる。 たとえ並んで歩けなくても、わたしの心はいつもあなたに寄り添っている」
「あなたにミューズの祝福を。 芸術の寵児として、画壇に光り輝きますように!」
 ふたりはゆっくりと唇を合わせ、手のひらと手のひらを重ねて誓いを立てた。
「わたし、セルジュ・ピエール・ラリュックは愛の神の御前で誓います。 マルグリット・テレーズ・コンデを生涯愛し、敬い、護り抜くことを」
 すぐにマールも胸を震わせながら続いた。
「私、マルグリット・テレーズ・コンデは、セルジュ・ピエール・ラリュックを生涯愛し、敬い、貞節を尽くすことを誓います」
 夏咲きの薔薇が濃厚な香りをただよわせる夜気の中に、衣擦れの音が響いた。 微風がふたりの産毛にそよぎ、アラベスクのようにからみ合った体に心地よい冷気を残していった。



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