マールが聞き耳を立てているとも知らずに、シルヴィーは盛んにセルジュを誘っていた。
「ニースにも金持ちの商人や貴族はいるわ。 兄ちゃんの世話は後家のエドウィージュおばさんに頼んで、会いに来てよ。 あんたは私たち兄妹の面倒を見るって、うちの親に約束したはずよ。 ねえ、来て!」
困った様子で、セルジュはシルヴィーから視線を外し、庭の奥へ走らせた。
その動きが、一瞬止まった。 ちょうどマールが覗いている東屋の辺りで。 マールははっとして首を引っ込めた。
もう姿は見えなくなったが、ひそひそ話はまだ続いた。
「わかったよ。 クロは根が丈夫だから、あと十日もすれば歩けるようになるだろう。 そうしたら荷馬車を借りて、二人で向こうへ行くさ」
「ほんと?」
シルヴィーは声を上ずらせた。
「約束よ!」
「ああ。 さあ、もう帰りな。 怪しまれるぞ」
「ええ」
軽い足音が聞こえ、シルヴィーが去っていったのがわかった。 セルジュはもともと音をさせないで移動するので、マールが少し待ってから庭をすかし見たときは、もう姿はなかった。
十日したらニースへ行く―― 胸がはじけそうだった。 簡単に姿を見せてはくれないだろうが、シルヴィーが今やったスカーフの合図を利用すれば、たぶん彼を呼び寄せられるだろう。 また会って、話ができる……! マールは、近くに咲いていたピンクの蔓薔薇を一輪折り取って、花に顔を埋めた。 ふくいくとした甘い香りに、胸が震えた。
「油断できない人ですね」
不意にすぐ後ろから、声が聞こえた。
マールはのろのろと顔を上げ、薔薇を持った手をゆっくりと下げた。 振り向く力は出なかった。 全身が高熱を発したように、細かく揺れた。
「あなたはシルヴィーの正体に気付いていた。 合図も見てしまった。 そして俺の本職も……」
次第に驚きの呪縛が解けた。 最後まで言わせず、マールはくるりと半回転すると、背後の黒い姿に飛びつき、素早く捕らえた。
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