表紙
表紙目次前頁次頁文頭





−71−

 母の一応の許しを得て、マールは急いで裏庭に取って返し、シルヴィーがスカーフを置いた相手が現れるのを待ち受けた。

 黒いマントで体を包み、東屋の陰で十分ほどじっとしていた。 すると、周囲に気を配りながらシルヴィーが裏口から姿を覗かせ、ほぼ同時に闇そのもののような影が音もなく塀から飛び降りてきた。
 影は、母屋から見えない角度にシルヴィーを木陰へ引き込むと、小声で尋ねた。
「何だ、緊急の用って?」
「あのね、しばらく兄ちゃんの看病ができなくなったの。 お嬢様が急にニースへ行きたいって言い出して」
 ニース? と男は呟いた。 シルヴィーは茂みから外したスカーフを、悔しそうに手の中でくしゃくしゃにした。
「パリから離れて伸び伸びと遊びまわりたいらしいわ。 末っ子だからって、何でもわがままを通しちゃうんだから」
「それでおまえもついていくのか? いいじゃないか。 目先が変わってくつろげるぞ。 一生下町で縫い子や物売りをして死んでいく子がたくさんいるんだ。 広い世間を見て、おまえも楽しみな」
「私は、兄ちゃんやあんたのいるこのパリにいたい! 他所へひとりで行くのは心細いわ」
「甘ったれはどっちだい」
 男は黒い帽子を粋に指で弾いて、低く笑った。 その動作で、マールは彼がセルジュその人だと確信した。
「どのみち俺だってもう長くはパリにいない。 クロの怪我が治ったらマルセイユあたりに行くつもりだ」
「どうして! うまく絵描きの家に住みこんで、大事にされてるのに! それに泥棒だってバレっこないでしょ? 見分けがつかないほどそっくりの偽物とすりかえておくんだから」
 なるほど、そうだったのか――マールはセルジュの巧妙さに舌を巻いた。 まず貴族の下男になって、晩餐会や舞踏会に来る夫人たちの宝石を品定めする。 そして……そう、たぶん持って生まれた才能を活かして、精密にスケッチするのだろう。 その彩色画を手本にして、一味の宝石職人が模造品を作るわけだ。
 道理で、宝石泥棒の噂はとんと聞かなかった。 でも、知らずにガラス玉をかけて堂々と歩いている貴婦人がたくさんいるらしいと知って、マールは暗がりで忍び笑いした。



表紙目次前頁次頁文頭
背景:CoolMoon
Copyright © jiris.All Rights Reserved
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送