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 やがてフランソワはマールに低く言付けた。
「すまんが外へ行ってジャン・ピエールを連れてきてくれ。 事情を知らない側近たちに、この遺体を見せたくないからな」
「はい」
 マールが急いで出ようとしたとき、すっと横からセルジュが後に従った。
「お供します」
 フランソワが顔を上げて言った。
「よろしく頼む」

 長い廊下を、ふたりはしばらく無言で歩いた。 ちらほらと人が通るが、誰もマールに気付かず、知らん顔ですれ違っていった。
 マールは気まずくて声が出せず、セルジュのほうは木彫りの人形のように無表情で足を運んでいた。
 だが、間もなく裏庭が見えてこようというとき、前触れなくセルジュが沈黙を破った。
「ベル・ダム・サン・メルシー(つれなき美女→男を夢中にさせて冷酷に突き放す運命の女性)っていうのは、冷たくて神秘的な美人かと思ってたんですがね」
 いったい何の話……? マールは人目よけに深く被っていた帽子を押しあげて、ぎこちなくセルジュを振り返った。
「それって母のこと?」
 とたんにセルジュは噴き出した。
「あなたはご自分が見えていない。 無邪気な美人て、本当にいるんですね。 さっきの告白を聞いてもきょとんとしてるんだから、憎かった犯人がだんだん気の毒になりましたよ」
 セルジュが何を言おうとしているのか、やっとマールにもわかってきた。 だが全然納得いかなかった。
「私は、お父様にそっくりなのよ」
「確かに面影はありますね」
「あの顔に似てて、美人なわけないじゃない」
 返事の代わりに、セルジュは胸元に手を入れて、楕円形の陶器でできたペンダントを取り出した。
 それを裏返してマールに渡しながら、セルジュはしみじみとした口調で言った。
「ごらん下さい。 わたしの憧れの人を。
 半年前、ドラフェール子爵の夜会で姿を見てから、わたしはこの方のとりこになりました。 窓辺に立つ姿を覗き見たいばかりに、隣りの貴族に取り入って下男になり、朝な夕なにそっと眺めていました」
 手渡された飾りには、女性の顔が描かれていた。 壁に列をなす蝋燭に近づいて確かめたマールは、ぽかんと口を開けて立ち尽くした。
 それは彼女自身の絵だった。 しかし、信じられないほど女らしいのだ。 大きな眼は複雑な色合いでつやつやと輝き、軽く曲げた首は白鳥のごとくたおやかだった。
「麗しいでしょう? これがあなたです。 たとえ眉をげじげじに描いて女中ごっこをしたり、男装して剣を振り回したりしても、優雅さは隠しきれない。 あなたはきれいです。 見かけも、心も」
 声が急速に遠ざかったので、マールはぎょっとして顔を上げた。 広々とした廊下の中ほどにいるのに、もうセルジュはどこにも見えなかった。


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