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 カサリとも音を立てずに、エレはしばらく静かにしていた。 そして、若者たちが王の寝室に入っていった気配を感じ取ってから、きゃしゃなキツネに似た身のこなしで小部屋を出た。
廊下をすべるように歩いて戻るその顔は、これまでになく強ばっていた。 これは時間との競争だ。 まさかこんな事態が待っているとは、さすがのエレも予想だにしていなかった。

 勢いにまかせて飛び出していった軽装馬車が、暗くならないうちに凄い勢いで庭に戻ってきたので、妻が心配で外出できなかったフランソワは、驚きと安堵を半々に浮かべた顔で迎えに行った。
 馬車から風のように降りてきたエレは、夫の腕にはまり込むようにして鋭く囁いた。
「すぐに何人集められる?」
 たちまちフランソワの表情が引きしまった。
「六人……いや、七人だ」
「それだけいれば多分大丈夫。 全速力でセーヌの岸へ行きましょう! 話は途中で」
「わかった」
 フランソワはエレに絶対的信頼を置いていた。 エレだけは彼に嘘をつかないし裏切らない。 だからこのときも理由を訊く前に行動に移った。 影のように付き従うデュパンに向かい、マールと協力してすぐに部下を駆り集め、その他に馬を三頭連れて後から追ってくるよう命じ、ただちにエレを乗せてきたばかりの馬車に乗り込んだ。

 馬たちは疲れを見せず、なめらかに石畳の道を抜け、埃の舞いあがる郊外に出ていった。
 エレは御者に聞こえないようできるだけ声を落として、フランソワに説明を始めた。
「入れ替わっていたのは傍仕えだけじゃなかったのよ」
 フランソワの眼が細まった。
「もっと偉い連中もか?」
「一番上のあの人もよ」

 揺れる馬車の上で、フランソワは思わず大きく口をあけ、舌を噛みそうになった。
「なんだと! だが君は確か……」
「ええ、会ったわ。 ついこの間。 でも気分が悪いということで、薄暗くした寝室で弱い声を聞いただけなの」
 ゆっくりと座りなおすと、フランソワは頭を振った。
「なんと……大胆不敵な」
「入れ替わっているのは、マルセルという名前の男らしい。 もしかすると、もともといた国王の影武者の一人かもしれないわ」
「わたしは二人知っているが、マルセルというのはいなかった。 しかし猜疑心の強いルイのことだ、こっそり他にも作っていたかもしれんな」
 複雑きわまる表情になって、夫妻は顔を見合わせた。



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