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 三分ほども歩いてエレがたどり着いたのは、女官用の通用口だった。 鍵束から一つ選り出して鍵穴に入れ、慣れた手つきで回して、開いたドアからするりとすべりこんだ。

窓の少ない薄暗がりの廊下をしばらく進み、ようやく目的の部屋が近づいてきた。 うなぎの寝床のような小部屋で、王の居室の裏側にあり、巨大な箪笥に背後から入りこめるようになっている。 エレはさっそく緞帳を持ち上げて中に体を入れ、そこだけ薄くしてある木の板に耳を寄せた。
 間もなく向こうの部屋でドアの開く音に続いて、複数の足音が近づいてきた。 聞き覚えのあるジョゼの声がした。
「無事に戻れたな。 やっぱりあの呼び出しは……」
 鋭い息の音がジョゼの言葉を遮った。 シッとか、黙れ、とかたしなめたのだろう。 とたんに墓場のような静けさになった。
エレの耳は針のように鋭い。 子供時代、だだっ広い森の中でウサギが踏む小枝のカサッという響きを聞き分けたほどだ。 だからこそ、次に続いたわずかな囁きを拾い出すことができた。
「(忘れたのか。 ここは至るところにスパイがいるんだぞ。 例の所にもいるかもしれない。 行って確かめてくる)」
「(わかった。 わたしも行く)」
 例の所とは今まさに自分のいる隠れ場所ではないか、とエレの頭にひらめいた。 同時に体が動き、できるだけ衣擦れさせないように斜めになって隙間をすり抜け、中に通じるドアの横にぴたりとついた。
間一髪だった。 そのドアがゆっくりと開き、二人の若者が用心しながら狭い部屋に入ってきた。
フェデが隠し戸を勢いよく引きあけ、同時にジョゼ・クルスナールが細身の剣を抜いて暗がりに突きを入れた。 だがもちろん、箪笥の裏は静まり返っていて、ネズミの逃げる音さえしなかった。
肩の力を抜くと、ジョゼは再び剣を収めた。 フェデは隠し戸に顔を入れて一応確かめた後、背筋を伸ばして呟いた。
「誰かがいた」
「え?」
ジョゼの美しい顔に緊張が走った。 フェデは一つ大きく呼吸して続けた。
「香水の匂いが残っている。 そんなに前じゃないな。 これは……マグノリアの香りだ」
扉の陰で、エレは脇に入れた短剣の感触を確かめていた。 気は進まないが、発見されそうになったらすぐに二本を立て続けに投げるつもりだった。 昔から百発百中で外したことがない。 短剣投げは、エレの必殺技なのだ。
だが、さすが用心深いフェデも、盗聴していた人物がまだ部屋の中に留まっているとは考えなかったようで、顔を緩めてジョゼに微笑を投げた。
「あのクソ親父、宮殿中にスパイを放っているらしいからな。 誰でも彼でも調べるのが仕事になってるんだろうよ」
「まったく息が詰まる。 もう猿芝居には疲れた」
「後ほんの少しの辛抱だ。 マルセルの親父さんがうまく布告を出せれば、あらゆる苦労が報いられる。 今度こそ心置きなくクソ親父を始末できる」
「自分を太陽神と思い込んでるあの男を、いよいよだな。 何が王権神授説だ!」
「シッ、また声が大きくなったぞ。 詰めが肝心なんだ。 用心に用心を重ねろ」
「ああ、よくわかってるんだが、胸がわくわくして」
「押えろ」
二人は足取り軽く部屋を出ていった。 ドアが閉まった。



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