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 壮大なヴェルサイユ宮殿は、まだ完成したわけではなく、庭に巨大な彫刻を運びこんだり新たな樹木を植えたり、職人たちが毎日のように行き交っていた。 フロンドの乱でバリが大嫌いになった国王はこの宮殿にえらくご執心だが、エレは、そしてマールも、活発で陽気なパリのほうが好きだった。
 左右対称に整然と組まれた大庭園を、いかにも軽やかな足取りで優雅に歩きながら、エレはつまらなそうに言い放った。
「こうやって枝を積み木みたいに刈り込んで好きなように並べて、自然を征服した気分になってるのよ。 深い森に分け入って耳をすませてみれば、大地や古木の息遣いが押し寄せてくるのがわかる。 人がどんなにちっぽけか、ひしひしと思い知るのに」
「思い知りたくないのよ、きっと。 自分は人の上にさんさんと輝く太陽だと、本気で信じていたいんだわ」
「結構しんらつなことを言うようになったわね、あなたも」
「もう大人よ。 十六だもの」
「そうか」
 エレは、遠くに思いを馳せる表情になった。
「私が十六のときは、母親になりかけていたわ。 生まれた子は一声泣いただけで、神に召されてしまったけれど」
 今でも口に出すと頬が引きつった。 それほどたまらない思い出だった。
「女の子だった。 それからずっと、女の赤ちゃんを腕に抱く日を待ち続けたわ。 だからあなたが生まれたときは……」
 珍しく感極まって、声が途切れた。 言い終わらなかった言葉の代わりに、エレは娘のしなやかな手を取り、ぎゅっと頬に押しつけた。
「もうこれ以上望むことはないと思った。 神様、ありがとうって叫んだわ。 長生きしてね、マール。 少なくとも、私たち夫婦より先には死なないで。 剣を習って強くなるのもいい。 本を読んで知識を身につけてほしい。 それに、こうやって人付き合いをして、人間の凄さ、怖さを知ってもらいたい。 獅子のように強く、狐のようにずるく、生きてほしいのよ、あなたにも、アンリとシャルルにも」
 母と手を繋いで歩きながら、マールは感動の中で笑い出してしまった。
「とんでもない親たちね、私の両親は。 神の畏れなんか全然教えないで、生き延びろ! それがモットーなんだから」
「当然よ」
 エレはきれいにまとめた髪がゆるむほど大きく頭を振りたてた。
「まず生きること。 強ければ、それだけ汚いことをしないですむ。 強く生き延びれば、味方ができてますます強くなる。 これだけは忘れないで」
「ええ、お母様」
 マールは母の手を力強く握り返した。

 磨かれた廊下に入ったとたん、エレはあちこちから飛んでくる挨拶に応えるのに忙しくなった。 いつものことなので、マールはおとなしく傍に付き添い、一見しとやかに目を伏せて、直接話しかけられたときだけ答えていた。
 そのうち、数人の若者がまとまって歩いてくるのに出会った。 中心にいるのは淡い金色の巻き毛がきれいな美青年で、マールと眼が合うと愛想よく微笑した。
 エレと顔見知りらしい一人が明るい声で叫んだ。
「これはコンデの奥方様! 王様の新しい側近をご紹介しましょう。 ジョゼです。 ジョゼ・クルスナール!」




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