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「三人分と言うから念のため四人分作ったんだ。 それを急に五人分いるだと?」
 最初に声を聞いた男がぶつぶつ言った。 どうやら酒場の主人らしい。 かすれ声が慌てて言い訳した。
「あんなに似てると思わなかったんですよ。 どこかで手に入りませんか? パリはこんなに広いんだし」
「余興で芝居をするからと言って作らせたんだ。 上等で、そばで見ても本物そっくりなんだぞ。 あれだけのものをまた注文するとなると、疑われてしまう」
 主人は荒い口調になった。
「目立つことはできるだけしたくないんだ」
「そりゃそうですが」
 声は再び遠ざかっていった。 何の話だろう。 セルジュは推理してみた。
――衣装かカツラ、髭かもしれんな。 奴らは変装してどこかへ入り込もうっていうんだ。 それにしても、似てるとはどういう意味だ。 誰にどう似てるんだろう――

 下の物音はまったくしなくなった。 やがてネズミのかすかな足音を耳ざとく聞いて、セルジュは決意した。
――ネズ公が出てきたってことは、そばに人間はいないってわけだ。 一丁やってやろうぜ――
 天窓の木枠を揺すって強さを確かめ、懐から手品のように細紐を取り出して結びつけると、セルジュはするすると中へ下りていった。 思ったとおり、扉は閉じていて、天窓の下以外は熊の穴のように真っ暗だった。 目が慣れてきても、様々な大きさの樽が並んでいるだけのようだった。
 しかし、セルジュが亡霊のように忍び足で歩き回っていると、ごくかすかな声が床を伝わってくるのに気付いた。 下だ。 酒蔵の床下に、地下室があるらしかった。
 果たして、倉の一番奥に、床板の隙間からほんのわずか光が洩れてくる箇所があった。 セルジュは再び身を伏せて、その隙間に耳を当てた。
「……デュケはうまく取り入っているようです。 二回目の報告が来ました」
「この分だと入れ替えは早そうだな」
「いや、焦らないほうがいい。 まだ二人替わっただけなんだ。 これからが本番だということを忘れずに」
「確かに。 気を引き締めて行こう。 落ち着いて、ボロを出さないようにな」
 デュケ……新しい名前を、セルジュは記憶にとどめた。 クルスナールとデュケか。 どちらも耳慣れない名前だが、裏町のはぐれ者軍団の情報網にかければ、どこかに引っかかるかもしれない。
 今夜はこのぐらいにしておこう、とセルジュは決めた。 闇世界の人間の本能とでもいうべきものが、彼に警戒警報を送っていた。
 その予感は当たった。 セルジュが音もなく綱を登り、天窓から外して巻きあげた直後に、店へ通じる扉が再び開いて、新しい男たちが入ってきた。
 今度は主人を入れて三人だった。 主人の手燭でちらっと顔が見えたので、セルジュはしっかりと頭に叩きこんだ。 そして、急いで首を引っ込めた。 天窓の上で動くと、下に影となって映るので発見されやすい。 声だけで我慢することにして、また立ち聞き、というより這い聞きを開始した。



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