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「焦るな! 君の仲間が偶然聞いた言葉から判断すると、一味は残りの三人が到着するのを待っているらしいんだ。 まだ時間はある」
「でも、クロが逃げたのに気付いたなら、用心してアジトを移すかもしれません。 俺が奴らだったら必ずそうします。 だから、逆に今がチャンスなんです。
 すいませんが、どなたかシャンパーニュ画伯の家に行って、ラリュックが食い物に当たって寝込んだと言ってきてもらえませんか? 修業に入ったばかりの身の上なんで、勝手にいなくなるわけにはいかないんですよ」
 セルジュの話し方には、どこか凛としたものがあって、初めはいやいやだったジャンまで耳を傾けるようになっていた。
 ピエールが最初に納得した。
「よし、わたしが行こう。 画伯の屋敷はどこにある?」
「アキテーヌ街の角です。 恩に着ます」
「連絡はどう取ればいい?」
「明日の晩八時に、クロを置いた井戸のところで」
「了解」
 そして、マールが口を挟む間もなく、ピエールとセルジュは素早く右と左に分かれて歩み去った。

 残されたジャンは、小さく鼻を鳴らしてセルジュを見送った後、マールに向き直った。
「さあ、帰りましょう。 お屋敷までお送りします」
 仕方なく、マールは踵を返したが、心は大揺れに揺れていた。 いっそクロという男を助けなければよかったと思った。 そのせいでセルジュをこんな危険に飛び込ませる羽目になるなんて、想像もできないことだった。


 三人と別れるとすぐ、セルジュは横丁に滑り込み、上着を裏返して全身黒ずくめに変わった。 脇のポケットから黒い布を取り出して顔に巻きつけると、もはや光るのは白目だけということになった。
 そのスタイルで、彼は黒猫そっくりに庇に飛びつき、軽く体を引き上げて屋根から屋根へと飛び移って、数秒後には酒蔵の上に来ていた。
 そう、ピエールたちが忘れていた出入り口が、酒蔵にはもう一箇所あったのだ。 明かり取りのための小さな天窓だ。 誰も気付かない、おそらく酒場の主人さえ忘れているような箇所だったが、ここいらの屋根は自分の庭とばかり知り尽くしているセルジュには、どこに何がついているか目をつぶっていても言えた。
 セルジュは、すぐ忍び込むような真似はしなかった。 まず屋根板に身を横たえ、わずかに開いた空間から音が洩れてこないか、じっと耳を済ませた。
 七分ほどで努力は報いられた。 まず鈍い足音が近づいてきて、男の声が斜め下で聞こえた。
「急に言われてもな、用意できるかどうか」
「そこをなんとか」
 続いたのは、かすれたような独特の響きを持つ声だった。



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