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 セルジュは大急ぎで夜の道を歩いていた。
 画家の先輩弟子たちと飲みに出て、ちょっと風に当たってくると言って抜け出してきたので、長く留守にするわけにはいかない。 素早く用を済ませて、帰りは思い切って屋根を伝うつもりだった。

 昨夜行くと約束した小路に、クロの姿はなかった。 少し遠いが、奴のねぐらまで行くしかないか、と思案しながら、それでも念のため、セルジュはよく彼がたむろしている井戸端へ立ち寄ることにした。
 薄暗い路地を曲がると、夜目が利くセルジュはすぐに、石造りの井戸にもたれている痩せた姿を発見した。 ほっとして近づく足音を聞きつけて、クロは体を動かし、おびえた様子で這って逃げようとした。
 驚いて、セルジュは声をかけた。
「おい、俺だよ。 どうした?」
 震え声が答えた。
「セルジュか、よかった!」
 その口調に、セルジュは鋭く異変を感じ取って膝をつき、クロのやつれた横顔を覗きこんだ。
「病気か?」
「いや……刺された」
 とたんにセルジュの顔が鬼のように変わった。 本来は優男だが、顔巾も鼻も細く研ぎすまされた顔立ちなので、怒ると驚くほど厳しく見えた。
「くそっ、誰にだ!」
 兄貴分の耳に口を寄せて、クロは弱々しく教えた。


 一方、燕亭では、マール達が入ってから五分もしないうちに、赤鼻の男が酒を飲み終わって立ち上がり、主人に近づいて話しかけた。
「なかなかうまかったが、プロヴァンスのまろやかさが足りないな。 もっと上等な酒はどこに隠してるんだ?」
 盃を拭いて忙しく並べながら、主人はさりげなく答えた。
「そうさな、裏の倉庫へ行けばちょっとした物が飲めますよ。 安くはないが」
「それはいい。 案内してくれ」
 二人が連れ立って奥へ消えるのを、マール、ピエール、それにジャンの三人はちらっと視線を走らせて見送った。
 扉が閉まったとたん、マールは身を乗り出した。
「用心して、こっちから入ったんだな。 殺したはずの男の死体がないのに気付いて」
「酒場の近くで喧嘩して命を落とすのは珍しいことじゃない。 だから刺したままで放っておいたんでしょうが、死んだのを確かめなかったのは奴らの失敗でしたね」
「素人っぽいですな。 暗殺団という雰囲気じゃない」
 若いが何度も戦場に赴いて実際の戦闘に慣れているジャンが、首をひねった。
「ともかく、裏の酒蔵にすべての秘密があるようだ。 中を探れないのかな」
 マールが囁くと、青年二人は顔を見合わせた。
「出入り口は二つ。 小路から入るのと、この酒場から直に行くのとですが、窓はないし、中に何が潜んでいるかわからないですし」
「これまで集まった連中が中で寝泊りしていたら、どうします? 危険ですよ。 危険すぎます」
「そうか」
 マールはちょっとがっかりして、椅子に座りなおした。



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