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 フランスで一、二を争う立派な家系の貴公子が自ら訪問してきたというので、シャンパーニュ画伯はすっかり恐縮して、絵の具に汚れた上着を黒繻子〔くろじゅす〕に着替えて恭しく現れた。
「これはこれはこんなあばら家へようこそ」
「手間を取らせて申し訳ない。 これがその才能あふれる若手の画家なんだが」
 シャルルがセルジュに向かって手を振ると、真面目な中年といった雰囲気のシャンパーニュはきびきびとうなずいてみせた。
「わかりました。確かにお引き受けします。 ただご承知おき下さい。 ものになるかならないかは当人の才能と努力次第です」
「その通り」
 シャルルは鷹揚に微笑んだ。

 セルジュにとって、あちこちの田舎から集まってきた先輩弟子たちを手玉に取るのはたやすいことだった。 お偉いさんの紹介ということで、半日ほどは白い目で見られていたが、夕方にはすっかり打ち解け、安くてうまい飯屋をセルジュのほうが教えてやったりした。
 セルジュは要領よく立ち回った。 さる牧師館の応接室にかけるという肖像画の背景を、上手すぎない程度にうまく塗り、イーゼルを片付けたり油で汚れきったボロ布を取り替えたりと気をきかせて、そのつど道具の置き場所や弟子たちの順位など重要なことを観察し、頭に記憶した。

 だから夜には、さすがに疲れた。 偽画家のアントワーヌと連絡を取らなければならないのだが、もうエネルギーがなかった。
「ちぇっ、金持ちの気まぐれに付き合わされてこんな目に。 俺はそりゃ画家になりたいとは思うが、王様の靴をなめるようなやり方で窮屈なアカデミー画家なんかに出世したいとは思わないんだよ。
 ともかく、ここで新しい技術をものにしたら、どうにかしてトンズラだ。 川に落ちたことにするかな。 いや、セーヌは糞だらけで汚いからな、身代わり立ててマルセイユにでも逃げるか」
 周囲に聞こえないように小声で、気の早いことをぶつぶつ呟きながら、セルジュは蚕棚のような狭い寝台に体を丸め、あっという間に熟睡した。


 翌日、シャンパーニュは時間があいたので、セルジュに自分の顔をスケッチするように命じた。 いわば入塾テストというわけだった。
 セルジュはちょっと迷った。 少し素人っぽく描くべきか、それともいつも通り長めの筆遣いでさっと一気に描き上げるべきか。
 結局セルジュは普段の自分を選んだ。 自由奔放なスケッチがもしシャンパーニュの気に入らないなら、それはそれで仕方がない。 柄に合わないと追い出されるなら早いうちがよかった。
 さらっとクロッキー風に大まかなアクセントだけをつけた画を、セルジュは師匠に差し出した。 その筆づかい、線の動きをまるで読書するように目で追った後、シャンパーニュはモデルになるために座っていた椅子から立ち、真剣な口調でセルジュに告げた。
「この腕は隠しておけ。 わざとのろのろ塗っていた昨日の様子だと自分でもわかっているようだが、お前の才能は頭一つ図抜けている」


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