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 とりあえず、燕亭には、フランソワがもっとも信頼している部下二人を客として行かせ、それとなく見張らせることにした。 もしまたあの合言葉が飛び交うことがあれば、人相風体を詳しく記録し、報告する。 ただし、今のところ深追いはしないように命じることにした。
「背後に何があるかわからないからな。 慎重に動かないと取り逃がしてしまう」
「それで、わたしは何を?」
 身を乗り出したアンリに、フランソワはあっさりと言った。
「何もするな」
「え? そんな! わたしが見つけてきたんですよ」
「だからだ。 お前はけっこう目立つ。 一度や二度なら怪しまれないだろうが、急に燕亭に入り浸るようになったらすぐ、陸軍大臣の息子だと指さされるようになる」
「やれやれ、美男は辛いですね」
 大げさにアンリが溜め息をつくと、シャルルが歯を見せて笑った。
「自分で言っていれば世話はない。 兄さんよりわたしの方が見栄えがすると言う女性もたくさんいるよ」
「そんなにころころ太る前は確かにいたようだがな」
「おい!」
「やるか」
 二人がふざけて腕まくりをし、拳を振り回し始めたので、フランソワは顔をしかめて地図を大事そうに畳んだ。
「じゃれるなら外でやれ。 おっと、その前にアンリは兵舎に戻って、ジュレとメルソーに明朝うちへ来るように伝えろ」
「わかりました」
 アンリはすぐ真面目になって答えた。


 コンデ家の朝は早い。 母のエレは田舎育ちだし、父のフランソワは堅物の健康志向で、朝食前に一汗流さないと食事がまずいと言い切る男だった。 おまけに二人とも異様なほど丈夫で活発なので、太陽が顔を出して少しすると、もう屋敷の中は召使の歩きまわる音や話し声で活気づいていた。
 昨夜覗き見をしていて少し夜更かししたものの、マールも元気に五時半に目覚め、手先が器用な女中頭のアンヌ・ペリエに髪を結ってもらっていた。
「お父様はまだこの屋敷に?」
 横から髪のふくらませ具合を確かめながら、アンヌはピンを二つ差し込んだ。
「はい、今日の午後までは居られるようなことを、さっき奥方様におっしゃっておられましたよ」
「うれしそうだった?」
「それはもう」
 マールは面白がって眼をくるくるさせた。
「お父様って世間の常識では珍しいほど『正式な奥方』に夢中よね。 あれで昔は仲が悪くて、お互い愛人がいたなんて信じられない」
「お嬢様、動かないでください。 せっかく持ち上げた髪がゆるんでしまいます」
 今度は反対側からピンで止め、リボンをぐるっと回して飾ると、ほぼ出来上がりだった。
 芸術作品のようにあちこちの角度から見て、アンヌは満足した。
「今日はきれいにまとまりました。 お顔の艶もいいし。 何かいいことあったんですか?」
「まあね」
 ぴょんと身軽に立ち上がると、マールは先ほどの話を蒸し返した。
「ねえ、お母様の愛人は戦で死んだってアンリが言ってたけど、お父様のほうはどうなったか知ってる?」
「お嬢様、そんなの嘘ですよ。 奥方様に愛人なんて」
「あら、アンリはけろっとして言ってたわよ。 自分はその愛人の子なんですってさ」
「あら……」
 アンヌは言葉に詰まって、落ちてもいないピンを探すふりをした。


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