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 今夜は黒ずくめじゃない、と、窓からセルジュを観察しながらマールは不思議に思った。 まさか父と兄がこれまで彼を引きとめていたとは知らないから、普段着で盗むこともあるんだろうかと少し心配になったりした。
 一方、ごった煮のスープみたいな下男部屋に戻る前に、裏口で蝋燭に照らしてみて、セルジュはミション親方の『細工』の出来栄えを確かめた。
「いつも通り、大したもんだ。 本物そっくりの色艶だぜ」
 彼の手のひらに載っているのは、大きな八角形のルビーを真珠が二重に取り囲んでいる見事なブローチの模造品だった。
「これならすり替えたって当分ばれやしない。 もしかすると子爵夫人さまは、一生本物と思い続けるかもな」
 ほくそえんで、セルジュは丁寧に宝石もどきを袋に返し、低く口笛を吹きながら裏の狭い通路に入っていった。

 一方、リネン部屋でもマールが小声で歌っていた。 小鳥よ小鳥、という春の歌で、ヒバリを初恋の人にたとえた歌詞だった。
「登る朝日に飛び立つあなた、あけぼのの夢はまだ醒めずとも♪」
 そこで、ふっと気付いた。
「夜にふさわしい文句じゃないわね。 ナイチンゲールの歌にするか。 でも、あれはどこか物悲しくて」
 それより夜中に一人で歌を口ずさんでいるほうがおかしい。 マールは自分がどこかふわふわしていることに思い至った。
「春だから。 春の宵だから、気持ちが浮ついているんだわ。 早く寝よう」
 その前にひとつやることがあった。 マールは足音を忍ばせて、父の部屋へ望遠鏡を返しに行った。


 そのころ、フランソワは真面目に二人の息子たちと討議していた。 テーブルの上には、シャルルが奥から出してきたパリ市街図が広げられ、その上に三人が身をかがめて、あれやこれやと意見を出し合った。
「まずこの酒場の主人を内偵すべきだな。 合言葉を交わしていた連中が入っていったのは、ここにある酒蔵なんだ」
「どういう目的なんでしょうかね」
 シャルルが首をひねった。
「まず第一に考えられるのは、やはりスパイだろう。 次にルイ王がどんな手を打つか、早めに知って対処しようという」
「英国のですか? それともスペイン? オーストリア?」
「さあな。 アンリ、そいつらに訛りはあったか?」
 アンリは思い出そうとした。
「いや、みんな流暢なフランス語を話してましたよ」
「まあ、言葉だけでは決められないが、もし我が国の人民だとすると、騒ぎを引き起こすために集まってきたとも考えられる」
「反乱ですか?」
 シャルルの心配そうな問いに、アンリが笑顔になった。
「そんな勇ましいことを企んでいるなら、合言葉をテュイルリーの薔薇にはしないだろう。 例えば、鋼の心臓を我に、とか、鎖は断ち切られた、とか言いそうなもんだ。
 それに連中は鍛えているようには見えなかったよ。 脚は細いし、腹の出ている奴もいたし、ごく普通の市民という感じだった」
 一段と不可解だ。 フランソワはなぜか、じわじわと嫌な予感がわいてくるのを感じはじめていた。



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