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 薔薇窓の横に開いた細長い窓に、男が張り付いていた。 地上十二メートルはあろうかという高さで、彼のすらりとした姿は、途方に暮れたヤモリのように影薄く見えた。
 それが誰か悟ったとたん、アンリの視線は素早く晴れ姿の妹に移り、電光石火でまた窓に戻った。
 式はまだ終わってはいなかった。 だが、幼い頃から複雑な家庭事情の中で育ったアンリは、人の心を読むのに長けていた。 このまま放っておいたら取り返しのつかないことになる。 そう勘がひらめいて、アンリは目立たぬように身を小さくして列席者の間をすり抜け、扉を細く開いて外に出た。

 外周を走って、窓の下にやって来たとき、セルジュは窓の張り出しの縁ぎりぎりに立っていた。 顔は青白く、目は空の果てにぼんやりと据えられていた。
 彼が胸で手を組むのを見て、アンリは両手をラッパにすると思い切り怒鳴った。
「バカ野郎! 今すぐ降りてこい!」
 何も聞こえなかったように、セルジュは首を垂れて神に祈った。 かっとなって、アンリは地団太を踏んだ。
「殉教者気取りは止めろ! マールはおまえを裏切ってはいないぞ! あの男は名目上の亭主だ。 マールの面子を守る、いわば盾なんだ!」
 その言葉は、ようやくセルジュの心に届いたらしかった。 初めて彼の表情が動き、瞼がまたたいた。
 そのとたん、バランスが崩れた。 体が斜めになって落ちかかるのを見て、思わずアンリは片手で顔を覆った。
 しかし、ぱらぱらと埃が落ちてきただけで、大きな墜落音はしなかった。 薄目を開けて上をうかがうと、セルジュは張り出しの端に両手でぶら下がり、反動をつけて軽々と再びよじ昇った。
 額の冷や汗を拭って、アンリはぶつぶつ言った。
「ふうっ、俺の寿命まで縮めるなよ」

 猿のような身軽さで、三秒後にはセルジュは地上に降り立っていた。 アンリはじろっと彼を睨んだ。
「並みの貴族なら、おまえを切り捨てるところだ。 妹を身重にしたあげく、勝手な思い込みで……」
 叫びに近い声で、アンリの文句は遮られた。
「子供……ほんとなんですか!」
「嘘をついてどうなる! 大体な、……」
 突如セルジュがひざまずいたので、アンリは驚いて言葉を切った。
 大きく肩を上下させながら、セルジュは切々と言った。
「申し訳ありません。 身分の違いは重々承知しています。 でも孤児の俺にとって、彼女は夢の結晶なんです。
 夢に近づいた罰は受けます。 ただ、あの人だけは取り上げないでください!」
 そっぽを向いて、アンリは呟いた。
「誰が取り上げると言った……」



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