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−5−

 マールの明るい気分が一度に消えた。 これはどう見ても盗みだ。 そんなことをする娘じゃないはずなのに。
 魔が差しただけかもしれない。 箱の中を覗くだけで、何もせずに返すかも――そうなることを心から祈って、マールはドアの陰に立っていた。
 すると、思いがけないことが起こった。 窓辺のカーテンが揺れ、音もなく男が忍びこんできた。
 今度こそ本物の泥棒だった。 体にぴったり合った黒っぽい服に身を包み、目には大きな黒いマスクをかけて、ご丁寧に黒い袋まで持っていた。
 シルヴィーは、突然の侵入者にぎょっとして、箱を持ったまま立ちすくんだ。 男は忍び足で彼女に近づき、低く呼びかけた。
「心配するな。 俺だよ。 『早業のジャック』だ」
 ほっとして、シルヴィーは宝石箱を胸に抱きしめた。 豪華な飾りのついた箱を眺めて、『早業のジャック』は、やや鋭い口調になった。
「やっぱりな。 昨日の愚痴を聞いて、心配になって来てみれば」
「余計なお世話よ」
 シルヴィーは反抗的に答えた。
「本気で盗む気か? すぐばれるぞ。 追い出されたらどうするんだ」
 泥棒が泥棒をたしなめている。 奇妙な展開に、マールはなんとなく可笑しくなった。
 シルヴィーの声はますます尖った。
「だって、私とマール様は同い年なのよ。 なのに私が準備した服や宝石を、あの人はただ着るだけ。 何の努力もしないで、親や二人の兄さんにちやほやされて!
 生まれが違うってだけで、こんなの不公平よ! 私だって着飾りたい。 遊びまわってみたいわ!」
 泣きべそをかきそうになったシルヴィーを、男は困ったように見つめ返した。
「なあシルヴィー。 ここのお嬢さんは意地悪か?」
 目じりを拭いながら、シルヴィーは答えた。
「ううん、そんなことは」
「むしろ親切なんだろ? 確か言ってたな。 親が上京してきた日、丸一日休みにしてくれたって」
「……そうだけど」
「おまえ、当り散らす相手を間違えてる」
 怪盗はきっぱりと諭した。
「おまえをいじめる召使頭とか、すぐちょっかい出してくる隣りの息子とかが嫌なんだろ?」
「……うん」
「じゃ、そいつらから取り上げてやる。 俺がさ」
 男はシルヴィーの肩を抱くようにして、うつむいた顔を覗きこんだ。
「きっと小金を貯めてるぜ。 隣りのドラ息子は小遣いを湯水のように使ってるって噂だし。 だから、明日まで待つんだ。 それは元の場所に返せ」
 いくらかためらった後、シルヴィーはこくんとうなずき、箱を箪笥の裏に戻した。 怪盗はクスクス笑った。
「そこか。 うまいところにしまいこんでるな。 いよいよ食いつめたら、俺が頂戴することにしよう」
 冗談とも本気ともつかぬことを言って、男はポンとシルヴィーの肩を叩き、また音をさせずに窓から姿を消した。 まさにあっという間で、『早業』の仇名に恥じない身のこなしだった。

 マールはそっと戸口から後退し、五歩ほど足音を忍ばせて下がってから、普通どおり歩いて部屋に行った。 その間、考えていたことは、
――なかなかのものね、あの男。 こそ泥にしておくのは惜しい――



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