表紙
・・・貿易風・・・ 75

 ますます高鳴る胸をなだめて、セーラは旅行着のままかまどに火を入れ、湯を沸かし始めた。
「喉が渇いたでしょう? お茶を作るわ。 母さんが帰ったとき、すぐ飲ませてあげられるし」
 語尾がぼやけた。 壁にかけたヒンドゥー教の神の絵に、白くて四角いものが供えてある。 二歩で近寄って確かめると、それはセーラがイギリスから出した手紙だった。
 たちまちセーラの眼に涙が湧きあがった。
「旅の無事を祈ってくれたのね。 こんなに心配させちゃって」
 駆け足の足音が近づいてきた。 扉が勢いよく開いた。 そして、いつもは静かに歩く母が、つむじ風のように飛び込んできた。
「セーラ!」
「お母さん!」
 向きを変えるより早く、母が抱きついた。 懐かしい香料の匂いが、セーラの体だけでなく心をもしっとりと包んだ。
「バーミンダさんがね、おまえが馬車を降りるところを見たって。 元気そうで、きれいになってたって」
 両腕をまっすぐに伸ばして、改めて娘の全身に目を走らせ、母のジャナは喉に声をつまらせた。
「本当だ。 こんなに女らしくなって……。 背丈も伸びてるんじゃない?」
「そうかしら」
 セーラも知らぬうちに涙声になっていた。

 再び固く抱き合った後、それまで目立たぬように部屋の奥に立っていたシドを振り返ると、セーラは母を押し出すようにして向き合わせた。
「母さん、会ってほしい人がいるの。 とても、とても素晴らしい人なの」
 帽子を取って、シドはやや緊張ぎみに微笑んだ。
「初めまして。 シドニー・アトウッドといいます。 イギリスからお嬢さんに付き添ってきました」
 肩を小刻みに上下させて、ジャナはしばらくシドを見つめていた。 彼はその強い視線にたじろがず、穏やかで謙虚な態度を保ってじっとしていた。
 緊張が耐えがたいまでに高まったとき、ジャナは突然、ふっと力を抜いた。 口元から白い歯がわずかにこぼれた。
「初めまして。 この子の母で、ジャナ・ヒューイットです。 イギリスでのこの子のこと、そして、あなたのことを、どうぞ話してきかせてくださいね」
 シドは、痙攣しかけた頬をさすり、目をパチパチさせてジャナに椅子を勧めた。
「お座りください。 お茶を飲みながら、ゆっくり聞いていただきましょう」
「ありがとう」
 ジャナが優雅に腰を下ろすと、その両隣にシドとセーラが席を取った。 興奮と嬉しさを胸に押しこめて、恋人たちはそっと目を見交わした。
 ポットからそそがれる琥珀色の液体を見て心を落ち着けた後、シドが淡々と尋ねた。
「お嬢さんと結婚したいのですが、許していただけますか?」
 両手を胸の前で組んで、ジャナも同じく平静に答えた。
「セーラが望むなら、喜んで」
 シドは、両の拳を一度、ぐっと握りしめた。
 それから少年のように眼を輝かせて身を起こし、ジャナの頬に音を立ててキスをした。

【完】




このボタンを押してね →
読みましたヨ♪




+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++ 長編小説ランキングWandering Network に参加しました。
ポチッとしてくださると、嬉しいです。
+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

表紙 目次文頭前頁後日談
背景:b-cures
Copyright © jiris.All Rights Reserved
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送