表紙
・・・貿易風・・・ 64

 そのままコートの中に抱き入れられて、セーラは気がつくと離れにいた。 キスはほとんど絶え間なく続き、眩暈〔めまい〕がして体に脱力感が走った。
 足が宙に浮き、ふわりとベッドに乗った。 冷えていた爪先が、指先が、脈打つほど熱くなり、やがて体中が熱を持った。
 幾度も彼の頬に唇を押し当てながら、セーラは思った。
――イギリスに来てよかった。 危険は覚悟していたけど、こんな素晴らしい人に逢えるなんて想像もしなかった…… ――

 情熱が満たされた後も、シドは優しかった。 毛布と掛け布団でセーラをくるみ、胴に腕を巻いてしっかりと抱きしめてくれた。
「ゆっくりおやすみ。 使用人が来ても僕がガードしてあげるから」
 ぼうっとした気持ちで、セーラはうなずいた。 初めて知るけだるさに全身を包まれながら。


 シドは約束を守った。 地平線に顔を出した太陽が弱く光り始めた早朝、目覚めたセーラの背中は、男の体温でほかほかと温かかった。
 寝返りを打つと、シドの笑顔があった。
 腕枕をしてセーラを見守っていたらしい彼は、目が合うとすぐに言った。
「おはよう」
 少年のような口調だった。
 セーラは目をぱちばちさせた。 なんだか気恥ずかしくて、声が低くなった。
「おはよう……」
 素肌を覆う長い髪を、糸巻きのように指にからませながら、シドは淡々とした、むしろ事務的な様子で続けた。
「結婚しよう。 できるだけ早く」

 突然、胸がしびれて冷たくなった。 結婚……そんなことは、まるで頭に浮かばなかった。 ただそばにいたいだけ。 このままそっとしておいてほしいだけだった。
 毛布を胸まで持ち上げ、セーラはベッドに上半身を起こして座った。 しっかりした声を出そうと努めたが、どうしても震えてしまった。
「それは……できないわ」


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