表紙
・・・貿易風・・・ 59

 五百ポンド! 腕が痛いのも忘れて、セーラは肘掛を握りしめた。
「あの人は悪い人です。 そんな大金を貰えば味をしめて、また脅迫に来るかもしれません!」
「いや、たぶん来ないと思う。 特に、ここには二度と」
 シドにしては力の無い声が答えた。
「何でもするから、独房だけは出してくれと、向こうから頼んできた。 眠れないんだそうだ。
 目をつぶると、必ずフロックコートとボウタイの若い紳士が夢に出てくると言っていた。 そして、両手を伸ばして彼の首を締めるんだと」
 ダグラス・ケンプだ…… セーラは思わず、訴えるような視線をヒューに向けた。
 ヒューはかすかにうなずき、まっすぐシドの目を見た。
「ありがとう。 嫌な仕事を引き受けてくれて。 今度も、それに十九年前も」
 シドの顔が驚きに赤らんだ。
「え? そのことは……」
「僕たち二人の秘密だった。 二人とも誓いを守って、固く口をつぐんできた。
 だが、セーラさんには説明しないわけにはいかなかったんだ。 ダグラス自身がこの人の前に姿を見せてしまったんだから」
 励ますように、ヒューの手がセーラの腕に載った。
「君に無断で言ったのは悪かった。 だが、セーラさんは信用できる人だ。 悪者に利用されたが、初めから終わりまで正しい行動を取った。 母の最期の日々を楽しいものにしてくれたのは、みんなこの人の力だ」
 シドは椅子に深く座りなおし、額に手を当てた。
「最初に口をすべらせたのは、僕だったかもしれない。 馬屋に若い男の亡霊が出るなんて……なぜあんなことをしゃべったんだろう。 それまで一度も幽霊騒ぎなんてなかったのに」
「虫の知らせというやつかな」
 ヒューがぽつりと応じた。
 シドの口から、重い息が洩れた。
「長い月日だったな。 その間、何度も考えた。 あれでよかったのか。 誰か大人に相談すべきだったんじゃないかと」
「いや」
 ヒューはきっぱりと遮った。
「最良の道だった。 そう僕には言い切れる。 君のおかげで、母は二十年近く、希望を持って生き続けることができた。 心から感謝してるよ。 僕も、そして兄も」
 そして彼は、ふっと少年のような微笑を浮かべた。
「疲れただろう? 今夜はうちに来て、一緒に食事しないか? 料理番のカーステンは君が好きだから、腕によりをかけてご馳走を作ると思うよ」
 シドも薄く目をあけて微笑み返した。
「そうだな。 ゆっくり話し合ういい機会だし」
 



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