表紙
・・・貿易風・・・ 46

「なんだ君は? ここまで押しかけてきて何をやってるんだ?」
 落ち着いた、威厳さえ感じられる声で、ヒースはトロイをなじった。 セーラは宙に浮いたようなトロイの眼に気付き、必死でヒースの袖を引っ張った。
「この人は逆上してるんです。 何するかわからないから」
 まさにその通りだった。 トロイは驚いたことに、セーラではなくヒースに狙いをつけて、撃鉄を起こした。 手首が震えるらしく、もう片方の手を添えて引き金に指をかけながら、彼は異様な調子でわめいた。
「このとんま野郎! 幽霊に化けて俺を脅そうだ? よくも笑いものにしやがったな!」
 銃口がまっすぐヒースの胸を向いているのを知って、セーラは目の前が真っ暗になった。 もし、理性のかけらもなくなったこの男がヒースを殺してしまったら、殺人の共犯にされる!
「やめて!」
 絶叫しながらセーラがヒースの脇をかいくぐって飛び出したとたん、銃声が響いた。 同時に、肩を棍棒で殴られたような衝撃がセーラを襲い、雪の上に突き倒した。

 二人の男は、細く硝煙の立ち昇る中、一瞬立ち尽くした。 建物の中から悲鳴が上がり、ばらばらと数人が駆け出してきて、トロイは我に返った。 そして、雪を蹴散らして走ると、低い柵を乗り越えて姿を消した。

 ヒースは急いで膝を折り、地面に横座りになったセーラを抱き上げた。 腕が垂れ下がったとたん、耐え難い痛みが脳を突き上げ、セーラはかすかな悲鳴を上げて気を失った。

◆◇◆◇◆


 意識が戻ったとき、セーラは自分の部屋のベッドに横たわっていた。 周りは静かで、人の気配はない。 枕の上で首を動かすと、首から肩にかけてズキッと痛みが走った。 セーラは反射的にぎゅっと眼をつぶり、怪我しなかった右手を伸ばして左の上半身に触れてみた。
 肩ではなく、腕に包帯が巻かれていた。 弾は上腕部に当たったらしい。 胸じゃなかったんだ――セーラは一応ほっとした。
 そのとき、静かにドアが開いて、人が入ってきた。
 その人間は、ごくそっとドアを閉め、足音を殺して近づいてきた。 もしかすると、またトロイが…… セーラは眼を糸のように細くあけ、相手が傍に来るのを身を固くして待ち受けた。 トロイだったらすぐに、大声でわめいてやるつもりだった。
 人影は掛け布団に触れるほど近くに来て、そばに立った。 そして、沈んだ低い調子で名を呼んだ。
「セーラ?」
 すぐに誰かわかった。 セーラは息を詰め、身動きひとつしないでいた。
 相手は上体を倒して、顔を覗き込んでいるようだった。 重い息がかすかに顔にかかった。
「まだ目が覚めないのか」
 セーラは不意に涙ぐみそうになった。 惨めだった。 トロイは捕まっただろうか。 どっちみち、遅かれ早かれ逮捕されるに決まっている。 そしてすべてが明るみに出て、自分が偽物だとばれてしまうのだ。
 男は屈めていた腰を伸ばして体をまっすぐにしたが、出てはいかなかった。 ベッドの横に立ったまま、彼は低い声で独り言のように呟いた。
「全部……そう、きっと全部、僕が悪いんだ。 君に本当のことを話しておけば……もっとちゃんと面倒を見ておけば、こんなことには」
 声が途切れた。


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