表紙
・・・貿易風・・・ 41

 足の下で、雪がきしんで小さな音を立てた。 肩を寄せて恋人同士の語らいのように見せながらも、トロイはセーラの片腕を掴んで容赦なく引き立てていった。
 息を切らせながら、セーラは小声で尋ねた。
「どこへ連れていくの?」
「ゆっくり話ができるところだ」
 男の目が広い敷地をあちこち見回し、ゆるやかな斜面を下りたところにある長方形の建物を発見した。
「あれがいいな」
 呟くと、トロイは足を速めた。

 そこは古い馬屋らしかった。 今では使われていないようで、隅に薪が積んである他はほとんど何もなく、ガランとしていた。
 中に入るとすぐに、トロイはセーラを太い柱に押し付け、人差し指を顔のすぐ前に突きつけた。
「低脳か? おまえって女は!」
 がっちりした指から目を逸らし、セーラは来るはずのない助けを求めて、殺風景な建物の中を見回した。
 男のささくれだった声は続いた。
「何もかもうまくいったじゃないか。 バアさんに気に入られて、向こうから財産分けしてやるとまで言われて! それを何で断るんだ!」
「立ち聞きしてたのね」
「ああ、そうだよ。 元手がかかってるんだからな。 おまえに嫌われたからって、あっさり引き下がるわけにはいかないんだよ!」
 元手…… 旅費と前渡し金は、もしかするとトロイの懐から出ていたのだろうか。 セーラは愕然とした。
 もう簡単に逃げられないと見極めて、トロイはセーラから手を離し、ぶつくさ言いながら輪を描いて歩き回った。
「信じられない、まったく! メイヤーが、いい子を見つけたと飛んできたときから、なんか嫌な予感はしたんだ。 でも時間が足りなかった。 いまさら他の女を探すには遅すぎた」
「なぜもっと計画的にやらなかったの? 本人が亡くなってから半年も経ってたのに」
 思い切ってセーラが尋ねると、凄い目つきで睨まれた。
「セーラ・ボスレーはコレラでは死ななかったんだよ! 病気の両親を置き去りにして逃げ出したんだ!
 あいつ、そうとう悪党だったぜ。 たまたまボンベイの酒場で会ってさ、往年の歌姫シャルダナの娘だって聞いて、ぼんやり噂を思い出したんだ。 たしか金持ちの跡取りと駆け落ちしたんじゃなかったかって尋ねてみたらさ、向こうから飛びついてきたんだ。
 二人で何時間も話したよ。 そのうちセーラのほうから言い出した。 イギリスへ行きたい、バアさんをちょろまかして遺産をもらって、ヨーロッパの社交界で派手に遊びたいってな」
 セーラは眼を伏せた。 そして考えた。 本物のセーラは果たしてジェニファーに好かれただろうか。 この静かで上品な屋敷に来て、シドの鋭い目にさらされて、それでも本性を隠し通せただろうか。



表紙 目次文頭前頁次頁
背景:kigen
Copyright © jiris.All Rights Reserved
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送