表紙
・・・貿易風・・・ 38

「ここへ持ってきて。 このベッドの上へ置いて」
 広げる? セーラが目をこらしていると、エイダは箱の蓋を開け、中からどっしりしたレースのかたまりを抱えあげた。
 上掛けに広げられたのは、非常に豪華なウェディングドレスだった。 更にもう一着、ブラックレースを使った喪服も横に並べられた。
 花をかたどった分厚い生地に、ジェニファーはゆっくり手を触れ、慈しむようにそっと撫でた。
「これは私の母がテネリフ島まで注文を出して特別に作らせたドレスよ。 娘ができたら譲ろうと思って、大事にしまっていたの。 でもね、娘どころか姪もできなかった。 周りは男の子ばっかり」
 不意にセーラの胸にこみ上げてくるものがあった。 母のジャナは伝統衣装のサリーで式を挙げた。 絹でできた素晴らしい布地で紗のヴェールつきだった。 大切に包んであるその衣装を、セーラは見せてもらったことがある。
 だが、それは既に実家にはない。 前から羨ましがっていた親戚の女が、札で顔をはたくようにして買い取っていってしまった……
 白いドレスが虹のようにぼやけたので、自分が涙ぐんでいることに気付いて、セーラは慌てて横を向き、わからないように指先で目を拭った。
 ジェニファーは少し疲れた様子で、背もたれに寄りかかって小さく息をついた。
「受け取ってくれるわね。 このお祖母さんを喜ばせてちょうだい。 お願い」
 セーラは唾を飲み込んだ。 もう断る理由がなくなっていた。


 弁護士が書類を書き換え、ジェニファーの手をシドが支えるようにしてサインが終わった。 シドはまったく無表情になっていて、今部屋で起こったことにどんな感想を抱いているのかまったく窺わせなかった。
 プリーストリーは丁寧にセーラに尋ねた。
「銀行口座を持っていらっしゃいますか?」
「いいえ」
 虚を衝かれて、セーラは慌てた。 セーラ・ヒューイットとしてなら、インドの銀行にささやかな貯金はある。 だがもちろん、セーラ・ケンプの口座が存在するはずはなかった。
 書類をしまい終わると、プリーストリーは告げた。
「それでは、来週にでも引き下ろして持ってきましょう。 為替がいいですか? それとも現金で?」
 途方に暮れたセーラは、無意識にシドの視線を探していた。 見るからに決断力のある彼なら、こういう場合どうするだろう。
 気持ちが通じたように、シドが手短に答えた。
「新しく口座を開くのがいいんじゃないですか? ちゃんと自分名義のを」



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