表紙
・・・貿易風・・・ 37

 ジェニファーは眼をしばたたいて、かけようとしていた老眼鏡を再び横に置いた。 当惑するというよりも、むしろ心を打たれている様子だった。
「その言い方に嘘はないわね。 でもね、セーラ、お金はいくらあっても邪魔にはならないものよ」
 それがなるんだ、私の場合は――父親が窃盗罪、そして娘が詐欺罪で訴えられでもしたら、母はショックで倒れてしまうだろう。 セーラは必死の眼差しで、部屋にいる三人の大人を順繰りに見回した。
「私はいつかはインドに帰ります。 ですからイングランドに立派な土地を持っても宝の持ち腐れです」
「それはそうかもしれないけど」
 両手を組み合わせてしばらく見つめていてから、ジェニファーはぽつりと口にした。
「あなたは私を幸せにしてくれたわ。 だから私もお返しをしたいの。
 ねえ、プリーストリーさん、私の信託預金から千ポンド出してこの子にあげても、ヒューは怒らないでしょうね?」
 セーラは急に気管が短くなったような気がして息苦しくなったが、その場にいる男性たちにはそれほどの大金とは感じられなかったらしく、二人とも平然としていた。
「あの預金は先代が奥様のために残したものですから、ヒュー様とは直接関係ございません」
 セーラの頭が素早く動き、次男坊ヒューの経歴を思い浮かべた。 彼はジェニファー夫人の実子ではなかった。 たしか養子として一歳半のときに貰われてきたはずだった。
 ジェニファーはうなずき、セーラに笑顔を向けた。
「せめてこのぐらいは受け取ってくれるわね。 それと……」
 手が横のテーブルを探ってベルを鳴らした。
 すぐに女中頭のエイダが姿を現した。
「はい、奥様」
「あれは用意できた?」
「はい、あちらに置いてございます」
「すぐ持ってきてちょうだい」
「はい」
 やがてエイダは、大きな箱を大事そうに捧げ持って再び戸口から入ってきた。


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