表紙
・・・貿易風・・・ 36

 ジェニファーが細い声でセーラに教えた。
「こちらはうちの顧問弁護士のサディアス・プリーストリーさんよ。 川向こうのアサートンヒル町で開業なさってるの」
「初めまして」
 いくぶん固くなってセーラが挨拶すると、プリーストリーは白い髭を動かして微笑した。
「ごきげんよう、お嬢さん。 イギリスの冬はいかがですかな?」
「思った以上に冷えます。 寒さは経験したことがなかったので」
「でも若さはいいわ」
 ジェニファーが口を添えた。
「昨日は雪の中でたっぷり運動したようね」
 思わずシドの方を横目で窺ったセーラは、彼がまっすぐ見つめてきたので慌てて視線をそらした。
 シドは真面目な、ほとんど怒ったような表情をしていた。 やがて弁護士が茶色の鞄から書類を取り出して、シドの反応の意味がわかった。
 蝋色をした指をサイドテーブルに伸ばしてペンを取ると、ジェニファーはあっさりと切り出した。
「遺言を変えるわ。 もともとダグラスに渡すつもりだった相続分を、そっくりあなた名義に書き換えるつもり」

 反射的に、セーラは椅子を立った。 そして、力を込めて書類を掴むと、鞄の中にぎゅっと押しこんてしまった。
 不意を衝かれて、プリーストリーは鞄を膝から落としそうになり、あわてて抱えた。
「何をするんです!」
「いただけません!」
 弁護士の抗議とセーラの叫びが重なった。
 シドも中腰になったが、完全に立ち上がる前にまた椅子に座りなおし、ジェニファーとプリーストリーのあきれ顔を順番に見比べた。 力のある褐色の瞳が、面白そうにまたたいた。
 まっすぐ背筋を伸ばして立ったまま、セーラは誤解のないように、ゆっくりと繰り返した。
「財産は貰えません。 父も望まないと思います。 お祖母さまに会いたかっただけですから」
 きっぱりと宣言した後には、しばらく沈黙がただよった。


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