表紙
・・・貿易風・・・ 33

 体を横にしてやっと入れるぐらい隙間をあけて、滑り込んできたのは、トロイだった。 まだ服を着たままで、青い眼は熱に浮かされてうるんでいた。
「ねえ、僕の気持ちは知ってるでしょう?」
 前置きもなく、急に入り込んできた詫びも言わず、トロイは強引に二歩進んだ。 セーラは三歩退いて、サイドテーブルに置いたランプを手に取った。
「シェリー酒に酔ったんですね」
「いえ、あなたにです」
 トロイは更に進み、セーラはランプごと窓際に追いつめられた。
 そのとき、不意にある記憶がよぎった。 危なくなったら窓に灯りを置いて三度点滅…… 誰の言葉だったろう。 はっきり思い出せないままに、藁をも掴む気持ちで、セーラは後ろ手にランプを持ち替え、ガラスにくっつけた。 そして、トロイの気をそらすために懸命に話しつづけた。
「落ち着いて! 明日になったら後悔しますよ」
「するわけないでしょう」
 だらしなく口を開いて、トロイは哄笑した。 初めて彼が品のない水夫に見えた。 酔っ払いというのはこれほど自制心を失うものか。 酒に弱い一族に育ったセーラはぞっとして、背後で手を急いで動かし、三度ランプの光を覆った。
 気休めぐらいにしか思わなかった。 いざとなったらランプを男の顔に投げつけてやろうとして、セーラの手はそのまま上へ動き、持ち手をまさぐった。

 一分もしないうちにドアが開いた。 そして、女中頭のエイダ・トムソンがつかつかと入ってきた。
「セーラ様、枕カバーを取り替えるのを忘れておりまして」
 そこでトロイに視線を向けて、エイダはわざとらしく声を張り上げた。
「まあ、あなたは離れのお客様でしょう? こんなところに入り込んで何をなさってるんです。 道案内なら私がいたします。 さあ、こちらへ!」

 うむを言わさぬ声音だった。 トロイはいまいましげに口を曲げたが、逆らうと女中頭が大声をあげて、開いたドアから家中に響き渡りそうなので、あきらめて唸るように言い返した。
「部屋ぐらいわかる。 どけ!」
 そして、荒々しく戸口から出ていった。

 廊下を覗いて、確かにトロイが遠ざかっていくのを確かめた後、エイダは心配顔でセーラに近寄った。
「大丈夫でしたか? 撲られたりしませんでした?」
「平気。 ありがとう。 よく来てくれたわ」
 ほっとしたあまり、脚がふらついた。 助けは本当に来たのだ。 でも、なぜ!
 訊こうとして口を開けたとき、エイダはエプロンのポケットから大きな鍵束を取り出して一つ抜き、セーラに渡した。
「これはこの部屋の内鍵です。 しっかり閉めて、安心してお休みください」
「あ、あの……」
 すぐにエイダは、せかせかした足取りで去ってしまった。



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