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・・・貿易風・・・ 32

 後で村に出て宿を取ると口では言っていたが、広い屋敷に一部屋ぐらい空いているだろうと期待しているのが見え見えなので、セーラはハンフリーを探し、食堂横の小部屋で真鍮〔しんちゅう〕のランプを磨いているところを見つけて、遠慮がちに尋ねてみた。
「あの、今夜だけタウンゼントさんを泊めることはできないかしら?」
 ボロ布を傍のテーブルに置くと、ハンフリーは表情を動かさずに答えた。
「離れの部屋ならかまわないと存じます」
 そこは正式な客用寝室ではなかったが、船員ふぜいには充分だし、特にジェニファー夫人の許可を取らなくてもいいと仄めかす口調だった。
 セーラはすぐ引き返して、トロイに伝えた。 気を悪くするかと心配だったが、彼は平気だった。
「それはありがたい! 急に押しかけてすみません。 暖かい部屋でベッドがあれば、他に何もいりませんよ」


 夕食もトロイと一緒だったので、時が早く過ぎた。 次の航路もインド行きと聞いたセーラは、胸がふさがるほどの懐かしさ、寂しさに圧倒された。
「今度はカルカッタに?」
「ええ。 それから中国にも行くんですよ。 彼らの髪型は面白いです。 ほとんど剃って真ん中だけ長く残して、それをお下げに編むんです」
「なぜ?」
 セーラはあっけに取られた。 トロイはデザートのラムレーズンタルトをほおばりながら、適当に答えた。
「兜を被るとき蒸れないようにじゃないですか?」
「それなら全部剃ってしまったほうが」
「たぶん長いお下げが勇敢さの象徴なんでしょう」
 トロイは笑ったが、セーラは納得できなくて、少し考えていた。 そして、自分なりの仮説を立てた。 長く伸ばしたお下げを頭に巻いて、兜のすべり止めにするんじゃないかと。


 楽しく雑談し、シェリー酒でいくらかぽうっとなって、セーラは寝室に戻ってきた。 そして、さっきの話を思い出して微笑みながら髪を二本のお下げに結い、長く裾を引いた寝巻に着替えて、ベッドの脇にひざまずいた。
「遠い国にいる母をお守りください。 1日も早く帰れますように」
 祈りがちょうど終わったとき、キイッという金属の擦れ合う音が小さく響いた。 ドアノブの回る音だと気付いて、セーラはぱっと顔を上げた。



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