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・・・貿易風・・・ 30

「インドに行ったことは?」
 内心おそるおそるセーラが尋ねると、幸いなことにシドは横に首を振った。
「いや、残念ながら。 どっちかというと寒さより暑さに強いんだけどね」
「私も」
 セーラはきっぱり言い切り、小鬼のように躍っている暖炉の火を見守った。 シドもなんとなく無言になって、ふたりはしばらく立ち尽くしていた。
 やがてシドは小さく咳払いし、そっけない調子で言った。
「やっぱりシドおじさんでいいや。 若ぶるのはみっともないからね」
 夢見るように炎を眺めていたセーラの心が、すっと冷えた。 なれなれしくしすぎたと後悔しているのだろうと、すぐわかった。 まだ下心を疑われているのは間違いない。
 手袋を外して、暖炉の柵に丁寧にかけると、セーラは他人行儀に答えた。
「それよりアトウッドさんと呼びたいわ。 私のことはセーラと呼んでください。 うんと年下なんですから」
 うんと、を強調されて、シドは顔をしかめた。
 ハンフリーが気をきかせて、ブランデー入りの紅茶を運んできたが、シドは断った。
「もう帰らなくちゃ。 ジェニファーに会っていきたいんだが、大丈夫かな」
「あまり興奮させないようにとお医者様が言われました。 それさえ気をつけていただければ」
「じゃ、ちょっと挨拶していこう」
 ひらっとセーラに手を振って、シドは廊下に出ていった。
 もやもやした気分で、火に干した手袋を神経質に裏返していたセーラは、絨毯の位置を直してから自分も去ろうとしていたハンフリーに思い切って尋ねた。
「アトウッドさんはしょっちゅうこの屋敷に?」
 扉の前で足を止め、ハンフリーは丁重に答えた。
「前はそうでもなかったですが、兄嫁のアリス様が旦那様のジム様とお仕事の都合でスペインに行かれてからは、よく来てくださいます。 ジェニファー様のいい相談相手で」
「そう……」
 今もジェニファーのそばで自分の悪口を言っているのではないかと、セーラは憂鬱になった。

 


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