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・・・貿易風・・・ 29

 髪や手をびしょ濡れにして庭から居間に飛び込んできた二人を見て、執事のジェームズ・ハンフリーが謹厳な顔で忠告した。
「雪はベランダでよくはたいてお入りください。 絨毯が水びたしになってしまいます」
「そう固いことを言うなよ、ジェームズ」
 にやっと笑い返したシドは、さっさと暖炉の前に陣取ってしまった。 一方セーラは、服や靴についた雪をせっせと落として、ガラス戸に映して確かめてから入った。
 中に行くと、シドは薪をどんどんくべて火を大きくしていた。
「久しぶりに暴れた。 雪で遊んだなんて何年ぶりかな。 もしかすると何十年ぶりかもしれない」
 セーラは素早く考えた。 ダグラス・ケンプをよく知っていたとすると、シドは少なくとも三十にはなっているはずだ。 ダグラスはケンブリッジの大学生だったときにシャルダナと知り合い、二十歳で恋に落ち、この屋敷を出ていった。 今から十九年前の夏の日に。
「ねえセーラ? セーラと呼んでいいかな」
 急に親しみを増したように感じながら、セーラはうなずいた。
「どうぞ」
「じゃ、僕のこともシドと呼びたまえ。 くれぐれもシドおじさんなどと言わないように」
 シドは笑い、驚いたことに軽くウィンクした。
「これでもあっちこっち放浪したんだ。 アフリカや、オーストラリアにも行ったよ。 一番長かったのはアメリカ生活かな。 三年いたから」
「アメリカで何を?」
「記者。 ヘラルドの特派員だったんだ」
 新聞記者か――観察力の鋭そうな茶褐色の瞳を、セーラは不安な気持ちで受け止めた。 記者なら調査は得意なはずだ。 もし自分の過去を彼が調べる気になったら……
 インドは広い。 セーラという名前の娘だってたくさんいるだろう。 そう簡単に素性を探り当てられるものじゃない、と自らに言い聞かせたが、動揺は消えなかった。
 声の震えを隠すために、セーラは喉を張った。
「今でも記者を?」
「嘱託程度にね。 ときどき記事を郵便で送ってる。 すっかり田舎地主が板についたよ」
 爪先で、こぼれてきた薪を奥へ突っ込むと、シドは過去に思いを馳せるように目を細めた。
「でもまた旅をしてみたい気になるね。 三十三で老け込むのは早過ぎるって」
 


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