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・・・貿易風・・・ 18

 船はゆっくり地中海の沿岸に立ち寄りながら進み、遂に北海へ出た。 もう英国は目の前だった。 長旅ですっかり旧友のようになった船客たちは、別れを惜しんで住所や立ち寄り先などを交換しはじめた。
 レンドラー夫妻も、ロンドンにあるという店の地図を描いてセーラに渡し、できれば尋ねてくれるようにと念を押した。
「うちはアメリカから砂糖や綿を輸入しているから、店といっても事務所みたいなものなんだけど、それでもインディアンの作った壁掛けとかベルトとか、いかにもアメリカらしい工芸品を少し置いてあるんで退屈しないわよ」
 インディアン(=インド人)というコロンブス以来の間違った呼び方に、セーラは心の中で不快感を味わったが、顔には出さなかった。
「港から直接親戚の家へ行くので、たぶんロンドンには寄れないと思います。 でもありがとう。 いつかきっと伺いたいわ」
 サザンプトンに入港するまで、こういった挨拶が船のあちこちで交わされた。


 ウェスタン・スター号は、昼前に桟橋へ横付けされた。 ジブラルタル海峡を回ってから急激に気温が下がって、インドで手に入れた薄いコートでは間に合わなくなり、セーラは二枚も上着を重ね着した。
 それでも寒かった。 間もなくクリスマスという時期で、ついこの間まで太陽がさんさんと照りつけていた甲板には木枯らしが吹き抜けていた。
 コートの襟を立て、剥き出しの手をこすり合わせていたセーラに、通りかかったマーサ夫人が毛皮の縁飾り付きの手袋を差し出した。
「はい。 きれいな手がしもやけにならないように」
「まあ」
 上等そうな手袋を見て、セーラはためらった。 ずっと親切にしてもらいっぱなしで、気がひけた。
 若い娘の遠慮を見てとって、マーサは陽気に笑い飛ばした。
「安物よ。 ウサギの毛だから。 お古なんだけど、一時しのぎにはなるでしょ? じゃ、お元気で。 落ち着いたら手紙をちょうだいね」
「ええ、きっと書きます。 ご親切ありがとう!」
 夫妻は一足先に船を降り、セーラに手を振って辻馬車に乗り込んだ。 セーラはそれから五分ほど、メイヤーを待って甲板に立っていた。
 やがて、弁護士より先にヒースが自分で荷物を下げて船室から出てきた。 そして、セーラを見つけ、微笑みを浮かべて傍に来た。
「いよいよ雪のヨークシャーへ出発ですね。 この近所で分厚いコートを買ったほうがいいですよ。 去年、悪性の風邪がはやってずいぶん死にましたから」
 ひやっとして、セーラはまた襟をかき合わせた。 インドではコレラ、スエズでは熱病、ここではインフルエンザ。 どこにも危険はつきもののようだった。


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