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・・・貿易風・・・ 17

 ヒースは軽く眉を上げた。
「堅実な考え方だ。 ちょっとロマンティックじゃないけど」
「ロマンスなんて」
 セーラはそっけなく言い返した。
「暇とお金のあるお嬢様の遊びだわ」
 ヒースは驚いた様子だった。
「あなただってお嬢様でしょう? メイヤーさんの話では……」
 あわててセーラは言いつくろった。
「父は駆け落ちしたんです。 だから生活は苦しくて」
「そうですか。 お父様はけっこう情熱的だったんですね」
 皮肉だろうか――セーラは、優しく目を細めているヒースを見上げ、いぶかしんだ。

 パーティーが終わった後、セーラはひとり暗い部屋に戻り、灯りをつけて衣装のままベッドに座ると、物思いに沈んだ。
 多感な年ごろに父を逮捕されたセーラは、逃げるように女学校を止め、すぐ働きに出た。 必死に仕事を覚えている間は回りに眼を配る余裕がなかったし、慣れた後は所長の伸ばす手をうまくかわすのに精一杯で、むしろ男嫌いになりつつあった。
 ――偉そうなことを言っちゃったけど、考えてみれば私は恋なんかしたことがないんだ――
 侘しい自覚だった。 女らしさが足りないんじゃないかとさえ思えた。 それにしても、トロイといるよりむしろ母の傍にいたいと感じてしまうのは、間違いない事実だった。


 ウェスタンスター号の航海は順調に進んだ。 大しけに遭ったのは一回だけで、予定通り十二月初めにスエズ運河にたどりついた。
 水路を次々と閉じて海水を入れ替え、水位の違う紅海と地中海をつないでいく作業には、丸一日かかる。 その間、乗客は船を離れてカイロの町を観光するのが常だった。
 ライバルのヒースがどこかへ姿を消してしまったため、トロイは張り切って、夾竹桃が咲き乱れる古都にセーラを連れていった。 華やかなフランス風のカフェで休息し、口が凍りそうなフランベを食べ、陽気なキャバレーを覗いた。 セーラはからっとしたエジプトの暑さをむしろ楽しんだが、それでも一番心を打たれたのは、博物館で見事な彫刻や本物のミイラを見たときだった。 セーラがあまり夢中になって歴史の遺物を見て回るので、退屈になったトロイはせかしにかかった。
「そろそろ船が地中海に入るころですよ。 もう帰りましょう」
「こんなに大きな石をどうやって削ったんでしょう。 なめらかで上品な顔立ちをしているわ。 いくら見ても見飽きない。 吸い込まれそう」
 うんざりして、トロイは帽子をあみだに被り直した。


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