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・・・貿易風・・・ 15

 船が赤道を越えるとき、赤道祭りの舞踏会が催された。 一種の仮装パーティーで、船倉からいろんな衣装が引っ張り出され、みんな面白がっていろいろ選んだ。
 セーラはインドの民族衣装サリーにした。 これなら着方を知っているし、黒い髪によく合う。 緋色の短いブラウスをつけ、上から長いサリーの布を巻いて肩で止めると、思った以上に母に似ていた。
 小さな姿見にできるだけ全身を映してみながら、セーラはそっと囁いた。
「お母さん、きっと帰るからね。 貨物船に密航してでも」

 赤いサリー姿で広間に出ていくと、口々に褒めそやされた。 そろって縞シャツの海賊に変身したレンドラー夫妻は、黒い眼帯をかけてはしゃぎながら、セーラを挟むようにして中へ連れていった。
「冷たいパンチをどうぞ。 いいわね、この船。 最新型で電気が入ってるから、冷凍庫で氷が作れるんですって!」
 確かに金色の液体には氷のかけらが浮き沈みしていた。 すかさず、真っ白なカツラを被って十七世紀の誰かになったトロイが寄り添ってきて、グラスについでくれた。
「ありがとう。 ところであなたはどなた?」
 きれいに揃った歯を見せて、トロイは笑った。
「バッハらしいですよ。 ヘンデルかもしれない。 ともかく大作曲家です」
「ちょっと暑そうね」
 刺繍がこってりと散りばめられた上着を見て、セーラは危ぶんだ。
「汗びっしょりになりそう」
「じゃ、風の通る甲板に行きましょう。 あそこでも音楽は聞こえる」
 ちょっとためらったが、マーサ夫人がしきりにウィンクを送ってきて行け行けと合図するので、セーラはトロイと踊りに行くことにした。
 一昔前のややこしいカドリールは姿を消し、ワルツかポルカが主流になっていた。 トロイは非常にダンスが上手で、ふたりは踵に羽根が生えたように甲板を踊り回った。
「楽しいですか?」
 おどけたように目を輝かせて問いかけるトロイに、セーラは明るく応じた。
「ええ、とても」
 だが、軽い足取りとはうらはらに、心の隅でこう思っていた。
――ヒースさんはどうしたんだろう。 二時間ぐらい前から全然姿を見せないけど――

 三曲ほど踊ったところで少し疲れてきて、セーラは息を切らしながらデッキの柵に寄りかかった。
「いい運動ね、ワルツって」
 トロイもすぐ横に並んで、肩を寄せるようにしてサリーを止めたブローチに触れた。
「きれいだ。 クラシックな模様が上品ですね」
「母の物なんです」
 セーラはいくらか固くなって答えた。 目の前を四組ほどの踊り手たちが愉快そうに回りながら動いていく。 冗談で楽団がテンポが一段と速くして、みんなきゃあきゃあと騒いでいた。
 誰もふたりを見ていなかった。 ブローチに触れていたトロイの指が、次第に胸から首筋へとなめらかな肌を伝っていった。
 キスされる、とセーラは感じた。 嬉しいのかどうか、よくわからなかった。 中途半端な気持ちでじっとしていると、突然後ろで犬のような荒い息が聞こえ、肩にパッと手をかけられた。


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