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・・・貿易風・・・ 11

 船の上は、セーラが思ったより楽しかった。 乗客は全部で三十三人だったが男性が多く、若い娘はちやほやされた。 特にセーラのような異国情緒のある美しい娘は、注目の的だった。
 母から黒い髪と整った顔立ちを、父から鈴を張ったようなくっきりした青い眼を受け継いだセーラは、おそらくどの国の評価基準から見ても美人だった。 後見人という触れ込みでエスコートしている弁護士のメイヤーが手を出してこないのが不思議なぐらいだ。 彼はその点は非常に固く、ディナーのときに腕を組むぐらいで、無理にセーラに触れようとは決してしなかった。
 代わりにセーラに近づいてきたのは、二等航海士のトロイ・タウンゼントだった。 彼もまた万人が認める美男で、二人が並んで歩くと、絵から抜け出してきたようだと周りに噂された。
「明日にはカリカットに寄航して燃料や水を積み込みます。 一時間ぐらいなら船から下りて買い物できますよ」
 イギリス本土式にきちんと服を着替えて臨んだディナーの後、デッキに寄りかかって黒ずんだ海を眺めていたセーラは、ちょっと考えた。
「そうですか。 特に欲しい品はないけれど、動かない地面に下りるのはいいものでしょうね」
 整った横顔に惚れ惚れと見入りながら、トロイはさりげなく言い添えた。
「午後には暇になりますから、ご案内しますよ。 カリカットは初めてでしょう?」
「ええ……」
 確かに初めてだ。 言葉や風習もマドラスとは違うだろう。 だが大体同じ緯度にあって、気候は似ているし、たぶん建物も……
またセーラはふるさとを思った。 顔が翳ったが、明るくしゃべっているトロイの気分をそぎたくなくて、適当に相槌を打っていた。
「セントポール寺院とか、イギリス式の建物が結構ありますよ。 バスコ・ダ・ガマが始めて立ち寄った港でね」
 絶え間なく話し続けている彼の声が、次第に意識から薄れた。 だから少ししてそっと手を掴まれたとき、セーラはびくっとして思わず引っ込めてしまった。
 慌てた様子で、トロイは囁きかけた。
「すみません。 驚かせちゃったみたいですね」
「いえ」
 自分でもよくわからないもやもやした気持ちで、セーラは再び海に視線を向けた。 トロイは魅力的だし感じがよかったが、今は構わないでほしかった。 しばらく一人で風に吹かれていたかったのだ。

 トロイは本気でカリカットを案内して回るつもりだったらしいが、いざ船が着いてみると思わぬ事態になった。 新しく積み込むはずの荷物が、手違いで他の倉庫に移されていて、取り戻すのに激しい言葉と書類の束が行き交う騒ぎになってしまったのだ。
 トロイと一統航海士のダビンズは、その作業にかかり切りになって、とても港を離れるどころではなくなった。 メイヤーは知り合いの法律事務所に出かけてしまうし、一人になったセーラは港に降り立ったものの心細く、遠くへ行く決心がつかなくて、暑いドック付近を所在なく歩き回っていた。
 そこへ、白い長ズボン姿のトラヴァースが通りかかって、小さな日傘がゆっくりと動いているのに気付き、大股でやってきた。
「やあ、お一人ですか?」
 何かほっとして、セーラは笑顔になった。


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